30 Dec 2005

チャレンジする人へ

アイセック後輩(Blog)の知人から紹介された全盲のヴァイオリニスト&アスリートである白井崇陽(しらい・たかあき)という学生が、来年9月にオランダで行われる身体障害者陸上競技世界選手権の出場権を得た。ただ、かかってしまう諸経費の負担が大きくて大変なようだ。

白井さん当人にお会いしたことはないが、彼に面識があり彼のことを紹介してくれたアイセックの後輩は確実に信頼できる人間だと僕は太鼓判を押せる。ぐぐってみたが、余りインターネット上に情報がないので寄附しても「絶対に」大丈夫とは言えない(そういった対応ページはないので、寄附報告とかがあるとかは分からない)けど、寄附をしなくても、ここなり後輩ブログにトラックバックをして自分のブログで紹介して、多くの人の目に触れるようにするだけでも、それなりに意味があるかと思う。ブログってそういう可能性のあるメディアでは?ちょっとよいことしてみませんか。

以下、彼の通う桐朋学院大学の先生の日記より抜粋。
来年9月にオランダで行われる身体障害者陸上競技世界選手権の出場権を得た。今までも、年間3万円の部費でほとんど自腹を切って合宿や試合に臨んできたが、少々事情が違ってきた。
健常者の競技は、国からの補助がありほとんど自腹は痛まない。しかし、身体障害者の競技は、国からの補助がごく僅かで、今回の世界選手権のエントリーフィーだけでも二人で50万円かかる。それに、来年から強化指定選手ということで、強化合宿にも自費で参加しなければならなくなった。あれやこれやで非常にお金がかかるようになってきたので、白井嵩陽を応援する募金を募りたいと思います。応援してくれる方は、下記口座にいくらでも結構ですので募金をお願いします。
みずほ銀行  調布仙川支店  普通口座 2332949口座名義  白井嵩陽(シライ タカアキ)

2005年は

2005年を振り返って、印象的だったことを徒然と。

1月:中国ひとり旅(上海・北京・長城)でリフレッシュ、就職活動本格化
2月:最低限の試験をパス(16単位)、1社から内定を得て就職活動終了
3月:アイセックの総決算を終え、後半はのんびりドラクエ8なぞ
4月:大学授業に入学後初めて本腰(当初目標は夏40単位)、アイセック引退
5月:当ブログ再開、勉強と読書と同学年の友人との飲み会
6月:ブログ更新と読書三昧(町田康の乱読)、大学から若干遠ざかる
7月:山陰ぶらりひとり旅(松江・出雲・鳥取)、古都で内定先のトレーニング
8月:解散総選挙が決まりゼミ原稿着手、ぼちぼち試験勉強といいつつ読書
9月:ひたすら試験をパス(結果32単位取得)、アイセック年次報告書の作成
10月:アイセック選管@大阪、バイト先で尊敬するコンサルタントと仕事、英語
11月:自動車免許取得開始、バイトに本腰を入れつつ読書(政治・労働問題系)
12月:大学復帰、バイト先への貢献に注力、初オンラインバンキング・クレジットカード

ゼミと英語と自動車免許以外は、割と順調に楽しい一年だった。んで、残り3ヶ月で大学を無事卒業し、ゼミ原稿を完成させ、自動車免許を取得すれば万々歳。後は、もう一回国内と国外でひとり旅をして「ソウル・サーチ」wでもしてきましょう。

あ、引っ越しもあった。残り3ヶ月も、結局は最後までどたばたしそうな予感がする。「(大学生活最後まで)平穏は似合わないよ」と言ってくれた友人は正しかったか。入社後の目標は、3月末にでも。それでは、(本年は大変お世話になりました。どうぞ)よいお年を(お迎えください)。

29 Dec 2005

コミュニケーションと政治/プロフェッショナル広報戦略(著:世耕弘成)とドキュメント 戦争広告代理店(著:高木徹)の比較から

「いくら中身が良くても、伝わらなければ意味がない」という当たり前のことを、
政府と国政選挙において実践した議員の本。



この本(プロフェッショナル広報戦略)自体は、今まで広報不在だった政府・政党にしごく当たり前の広報(これ自体は目新しい内容ではない)を埋め込んだ本人による文献として意義があると思う。
以下、最終ページからの引用。
 どんなに立派な政策だろうが、それを国民に理解してもらい支持される作業が重要なのである。そして最終的には選挙を通して与党としての信任を得なければ、政策を実現できないのだ。中身がきちんとした政策であるのは当然として、国民、社会とのコミュニケーションが政治の本質と言っても過言ではない。
これは至極真っ当なことを言っていて納得できる。ただ、一抹の懸念がぬぐえない。

大前提として、国民が政策を理解できるとしていると思う。僕の懸念は、果たしてそれが可能なのかということ。国民の能力的に可能かというよりは、物理的に可能か(モニタリング・事後チェック可能か)という懸念。もし「できない」としたら、実質には一方通行(政治→国民→投票→政治)の「広報」は、コンセンサス形成の手段として堕してはしまわないだろうか(むしろそれが本質と捉えるべきなのか)。

この例が妥当かは分からないが、ドキュメント 戦争広告代理店にあったような例が思い出される。旧ユーゴ紛争において、セルビアが「民族浄化」「強制収容所」といったキーワードにより「悪役」のレッテルを貼られた背景には、セルビアと対立していたボスニアをクライアントとしていた米国PR会社がいた。国際世論が紛糾し、「事実」として認識されてしまった後で、「ある事象がないことを証明する」という不可能な立場に立たされたセルビアは結局情報戦に敗けた。



ああ、ここで懸念しているのは、僕が本質的だと無意識に考えている「中身」の議論が空に離散して、フレーズの快活さや(抽象的な意味の)パッケージの美麗さという情報戦に陥ってしまうのではないかということなんだろう。そして、それをヘッジする仕組みは、現在のところ政策実施者の善意に委ねるしかないのではないか。

何はともあれ05年度総選挙は、日本における選挙マーケティングの、ターニング・ポイントになる選挙であったことは間違いない。今後国民が、どのようにして政策を見極め、モニタリングする目を養っていくのか。もしくは、そのようなことは不可能だと捉えて、一連の政策立案・実施・報告を確実に成し遂げてくれそうな人を見抜く目を養う方向性が現実的かつ一般的な感覚なのかもしれないなぁ。

とここまで考え谷口先生が「小泉首相の示したコミットメントに有権者は投票した」というような
意味合いのことをおっしゃっていたことを思い出した。じゃぁ、「演技のコミットメント」と「真剣のコミットメント」をどう見分けよう?

28 Dec 2005

人口減=フロンティア?

人口の自然減が始まった。といっても社会増=海外からの移民があるから、厳密に
「人口減」が始まった訳ではない。あくまで、自然減:出生数-死亡数<0

この環境にある意味、ワクワクすると言っては過言なんだろうか。

世界人口が単年度1%増加を100年間続けたとしたら、単純な複利計算で2.7倍になる。どころか、万が一1960年代のような2%増加を100年続けたら、7.2倍にもなる。とてもこの地球が追いつく気がしない。

巨視的に見て、どっかで人口は収束しない※といけないはず。例えば、地球のキャパが100億だとしたら、人口モメンタムがあるので収束に至る時間を加味して、残された時間はあまりない。さらに土地的なキャパシティの問題だけではなく、エネルギー的な問題もある。先進国の人間は、途上国の10倍以上の消費をしている。
 ※あえて「させない」ではなく「しない」と書いたのは、人口を政策的に
  コントロールしようとする発想に、ナイーブな違和感を感じているから:-(

こういった環境下において、10億年後くらいにまた再び偶然生まれた知的生命体に解読されるのではなくて人類史が残っていくためには、「先進国に於ける人口安定モデル」、すなわち、人口が均衡もしくは減少する環境下での国家・社会運営モデルを描くことは未だ人類が誰もなし得ていない「フロンティア」と言えるのではないだろうか。日本の政策環境は、まさにその「フロンティア」に面していると思う。

国家が旗を振って「子を産め」というのもどこか違和感がある。それは、「誰の」幸せを考えた上での施策なんだろうか。大声で騒ぐ必要は、ないんじゃないのか。

24 Dec 2005

WINTER SONG

5年振りの自宅クリスマス。親ともデタント。世の中にもメリークリスマス。

I hope all fears and wars on the surface of this planet come to a holt and
want all to be able to share everything they see, the way they feel...

I like this song and this lyrics.
The dust is gaining ground, lights flicker all around
And as I walk the lonely streets, the snow is falling ever faster
Look into the sky, I wonder where you are
The way you came into my life, filling every day with laughter
Almost blinded by the snowflakes on my face
Despite the chill, I feel the warmth of your embrace
Intoxicated now, I stagger like a fool
I feel that surely I could float away...
I want to show you everything I see, the way I'm feeling
I need to be with you tonight, to hold your arms around me
My love for you is deeper than the deepest snows of winter
The greatest gift I ever had was you
This sparkling crystal world, this magic winter land
If I could share it all with you, and make-believe forever after
Like a blanket over everything in sight
In the hush, I hear the silence of the night
The snows has covered all the streets we walked along
I hope you still remember me tonight...
I want to show you everything I see, the way I'm feeling
I need to be with you tonight, to feel you all around me
My love for you is deeper than the deepest snows of winter
The greatest gift I ever had...
Can't remember feeling this way before
Do you know, do you understand what's going through my heart
Well the way that I love you, I just hope you feel it too
Tonight, wherever you are...
I want to show you everything I see, the way I'm feeling
I need to be with you tonight, to hold your arms around me
My love for you is deeper than the deepest snows of winter
The greatest gift I ever had was you
It was you...
This is my song for you...

P.S. I was surprised when I looked for "embrace" at SPACE ALC:-p

19 Dec 2005

素晴らしきシステム哉

アマゾンマーケットプレイスの古本の品揃えがよいので、ついつい注文してしまう。

見事に美しいシステムだなぁ、と思ってプレスリリースを見ていたら、年間売上は全世界で17.5億ドルを超えているのか。伸びに伸びているし、発想を技術が見事にサポートできていて、エンド・ユーザーも見事にハッピー(すくなくとも自分は)で北海道や大阪の人から古本が届く嬉しさよ。さらに、すぐに届けてくれるクロネコヤマトのメール便にも感謝。

美しくかつリスペクトできるシステムたちに、恩恵を受けております。感謝。

最近のマイ・インタレスト・フィールドとして注文した本達はこちら;

ちょっと社会学系統に偏りすぎている気がするが、まあよいかと。
政治参加
投票行動
橋爪大三郎の社会学講義




雑誌?

Mr.Fから回ってきた(思うに、こういったバトン系が気付く範囲で初めて回って
きた気がする)バトン。初体験。。。

■よく買う雑誌は?
選挙系の話題が出ていると「論座」とか。ああ、そういえば町田康の小説が「新潮」新年号に載るんだっけ。買っとこうかなぁ。アイセック現役時代はよく「Think!」買っていた。結局半分くらいは買ったかと。「HBR」は高いので、二冊くらいしか買っていない。ただ、気に入ったarticleのコピーは家に大量にある。まとめてアイセックに寄付しようかな。
■毎月何冊くらい買う?
最近はゼロ。ここ数年だと、四半期に1冊くらいでせうか。
■毎月どれくらい雑誌に使ってる?
よって、いいとこ月500円くらいです、はい。
■今部屋に何冊雑誌がある?
親父からお下がりで振ってくる日経ビジネスが多いので15冊くらい。とりあえず目に付いてもの悲しかったのは、Tarzanの腹筋特集。夏前に買ったやつだが結局効果なしか。。。
■前は読んでたけど読まなくなった雑誌は?
前述の通り「Think!」「HBR」。さすがに経営系のコンセプトからはちょっと距離を置いています。応用できるフィールドがなきゃ面白くないし、何よりどうせ来年から経営最前線のコンセプトに好きなだけ触れられるわけだし。
■バトンを受け取ってくれるお友達5人
海外組で。インド・ルーマニア・ウガンダあたりかな。他の大学生ってどんな雑誌読んでいるんだろうねぇ。あ、そういえばスピリッツ・ヤンジャン・ビッグコミックオリジナル等は立ち読みで必読ですが。漫画ラブ。

18 Dec 2005

言葉が出てこない

"On the tip of my tongue"という意味ではなく、偏屈になっているなぁと。もうちょい素直になれないもんかねぇ。最近ブログの筆?が進まないのも、そこらに原因があるのではないかと。

今は、外に表現するよりも、内で考える時期のようで、だけど外に表現を求められる機会が多くて。そんな日々。またふらり1人旅にでも行くかぁ。次は東北かな。

不偏でも普遍でも不変でもありたくない。
偏っていたいし、変な人でいたいし、変化していたい。

でも、誰かには理解していて欲しいと思うことは、傲慢なんだろうか。

8 Dec 2005

備忘録

Articles which I want to update soon.

・ゼミインタビュー「首相番記者から見た小泉首相」
・自民党50周年記念総裁・官房長官講演会リレー「小泉純一郎総裁講演会」
・クラスター分析の醍醐味(URL
・「多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで」※
・「なぜあなたは不幸なのか」(URL
・経営における覚悟と強い意志(雑感)
・経済産業省講演会「経済構造改革」



27 Nov 2005

経営と政治

経営とは、何か。
政治とは、何か。

以下、思いつくまま。
経営とは、組織の目的を設定しそれを達成することである。
経営とは、継続組織を作る(going concern)ことである。
経営とは、公式組織※を作り、非公式組織を結合することである。
経営とは、構成員を変え、代え、替えることである。
経営とは、戦略に組織を従えることである。
経営とは、「人の感動」を生み出すことである。
政治とは、物事を実現することである。
政治とは、実現のための権力を握ることである。
政治とは、利害を調整して現実解を作り出すことである。
政治とは、コンセンサスを作り上げていくことである。
政治とは、暴力に依らない価値観の衝突である。
政治とは、「人の不幸せ」を減らしていくことである。
経営は、価値観を設定してその実現の論理を競うことだが、
政治は、その価値観が異なる人間の間でのすみ方を合意すること。
だからこそ、経営には、非合理性を。政治には、合理性を。
※公式組織は、相互に意思を伝達できる人々がおり、それらの人々は行為を貢献
 しようとする意欲をもって、共通目的の達成をめざすときに、成立する(C.Barnaed)

25 Nov 2005

虚妄の成果主義(著:高橋伸夫)


虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメを古本屋で購入。

とりあえず納得。「学者に(こそ)信念が不可欠」との姿勢は非常に大好き。

"Satisfaction by reward?"
まず、「報酬」は不満足要因(環境・衛生要因)であり、改良されたからといって即「満足」にはつながりにくい。よしんばつながっても、「満足」と「成果」には、必ずしも正の相関関係がなく、「成果」を志向させるのは本人の資質であったり、他の経営上の仕掛けなんだろう。逆に、「報酬」制度に上限があると(普通は青天井ではないはず)が「成果」の上限を規定してしまう可能性は十分にある。

"Satisfaction by work"
つまり、「成果」の先に金銭的「報酬」をぶらさげてしまうことで、「仕事」自体が持っているはずの内発的動機付けが弱まり、「報酬」の外発的動機付けに左右される。そんなことをしなくても、「仕事」自体が面白ければ、人はちゃんと動機付けられ「満足」する。

"For satisfaction"
つまり、「満足」することと「どれだけ頑張るか」は別の問題である。じゃあ「満足」はそもそも必要なのかという議論になるかもしれないが、辞職すなわち「退出行動」については「満足」が影響を与え得るので、組織を維持・拡大するためには「満足」は気に掛ける必要がある。でも、それは「報酬」よりも「自己決定感」を醸成したり「見通し」を持たせたりすることで向上させることができる。

"Against pay-per-performance"
そうしたら、じゃあなんのためにいわゆる成果主義(成果測定・成果連動報酬)を導入する必要があるというのだろうか。成果測定によって人事評価を客観化して逃げるよりも、腹をくくって人事評価できるミドルを育成すべきなんじゃないのか。そして社員を動機付けるには、成果連動報酬
なんかよりも経営者は「未来」を語り、「見通し」を与えなさい。
"
My Comments"
まとめるとこんな感じかなぁ。ちょっと自分の主観も混じったが。世の中の効用関数の分布は一様ではない気がするので、なんでも「報酬」に一元化するのは経営・上司の手抜きじゃね?という指摘には同意。

ただ、「報酬」の評価的側面(報酬それ自体にではなく、報酬の絶対・相対的な差による自己有能感から来る動機付け、すなわちモノサシとしての報酬)の効果については考察が不足している。ただ、これは差をクリアーに付けることができる組織文化・ビジネスにのみ限定される議論だろうし、世の中の参考になるかというと現時点では余りならない気がするのがよいか。一部外資系とかには意味がありそうだけどね。

あと、じゃあ「どうやって社員を成果志向にするのか」という問いに対して、若干オプティミスティックな気がする。サンプル調査が優良大企業中心とかなのかな。まあ、そこは学者の分野というよりは、経営者の分野だろうが。

とりあえず、この本が50年後くらいに「古き良き日本のサラリーマンの意識」を説明する文献とかになってないことを願いつつ。僕も、本書に書かれているような人達のbehaviorは好きなので。

18 Nov 2005

Carlos Ghosn

カルロス・ゴーンを生で見てきた。

生憎スタッフ扱いでメモを取れなかったので覚えている範囲で。一番大きな印象としては(ルネッサンス ― 再生への挑戦を読んでも感じたことだけれど)決して特別なことを言っているわけではなく、"basic elements of management"を押えた上での"excellence for pursuit of results"にこそ勘所があるのだと感じた。



What is required to be a leader?というような質問に対して、
 1.ability to connect people to the leader and the company
 2.persistence to performance, results
という主旨のことをしゃべっていたのは印象的だった。「コミットメント」という、彼が日本に広めた(と思う)言葉もあるように、「結果に対する責任」がリーダー・経営者の役目なんだろう。

Who own a company?というような質問に対して、
 Concretely, legally, shareholders own the company.
と「所有者」という疑問に対しては回答し、「誰のためか」という含意に関しては、
 If I compare the company to human, shareholders own only the body,
 its mind, i.e. the direction, is made by customers, and its heart is
 made of employees. What's more, they cannot be separeted.
という主旨のことを言っていたが、論理的に定めようがないこの問題に対して、多くは「ステイクホルダーをバランスよく満たすこと」と一般論で返すのではなく、妙味のある例示だった。

あと、...Why? Because...と、ロジックのつながりを非常に意識してしゃべっておりストーリー、ロジックのつながりが明晰で、少々単語が聞き取れなくても大意を掴むことができた。イイ質問に対しては盛り上がって、楽しそうに立って身振り手振りを駆使してしゃべっており、非常に惹き付けられるプレゼンテーションだった。

余談だが、所謂「コスト・カッター」の切れ味というよりは、思ったよりも暖かみがありそう(てか、かわいげがありそう)な人柄を感じ、「一緒に仕事してみたいな」と思わせてくれた。これも、経営者としては絶対に重要なことだと思う。1時間と短い時間だったが、有意義な時間だった。実行委員の皆さんお疲れ様。

16 Nov 2005

職業としての政治(著:マックス・ヴェーバー)

原点回帰、ってことで基礎から読み直し。



マックス・ヴェーバーの死の一年前の学生向け講演を纏めたものだけあって、
締めに至るまでの最後の盛り上がりには、改めてメッセージを感じた。

心情倫理(意図に対する評価)ではなく、責任倫理(結果に対する評価)という道を通って為される政治行為は、その原動力があくまで暴力(権力)であるゆえに、決して「魂の救済」と相容れるものではない。

すなわち、政治では、制度では、システムでは、「人間」は救えない。「人間」を救うのは、また別の「何か」でしかありえないはず。当たり前のこと、でも自分が紆余曲折して気付いたことだからこそ、言葉は重みを持つ。

むしろ政治行為は「悪魔の力」を有しており、目的のための指導マシーンは、人間を空虚で、何も考えない追従マシーンとしてしまう力を有している。政党政治に内在するジレンマ―政治が最大多数の最大幸福を志向する一方で、追従者に盲目的な追従を要求する―を痛烈に指摘し、これは現代政党政治に置いても、特に昨今の自民党については、非常に今もなお生々しい指摘だと感じる。

自分が今志向している先は、「人の幸せ」には結びつかないんだろう。わかっている。ただ、満足を生むのではなく、不満足を解消することも絶対必要。それは、制度。最後の部分の引用。余りに、響いた故に。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。・・・自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場から見て―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人現。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。
(Underlined by 292)
やじろべえのようにバランスを取りながら、「私腹」の谷にも「宗教家」の谷にも転がり落ちることなく、例え周りの人間が、自分から見てどんなに愚かに見える日が続いても、「それにもかかわらず!」と胸を張って言い切ることができるとき。それが、自分の「生き方」が決まるときだろう。

15 Nov 2005

Am I fighting?

水曜日、高校同期のプロボクサーの試合を見に行った。

彼は、素人目にも強い相手に立ち向かい、引き分けた。

それでよしとせず、本当に悔しそうだった。リングにグローブを叩きつけていた。
本気で何かに取り組んでいるのは、回りのやつに伝わる。そして、火を付ける。
惜しかったが、改めてイイ試合をありがとう。
大学生活、アイセック・ジャパンにてライバルとして切磋琢磨してきたリスペクト
している友人の1人はインドへ、1人はルーマニアへ。自分は1人、日本に残った。
来年の春、帰国する彼らとまたinteresting & distinctiveな会話ができるように、
俺は、俺のフィールドでできることからやるしかない。身体に無理な背伸びをせず、
でも背伸びをして、いつか高みへ届くようにと。
Those who are crazy enough to think they can change the world,
are the ones who do.

This is my manifestation, for my own future...

Visionary writer mined the mind

タイトルを上手く訳せない。。。まだまだまだまだ精進あるのみ。
Peter Drucker, who died Friday, 11 days short of his 96th birthday, was his own best advertisement for the concept of the knowledge worker, which he identified more than 40 years ago: those who work with their minds, and thus own their means of production.

著作は余り読まず(訳本特有の回りくどさが気になった)、専らビジネス知識源経由でその偉大さを紹介して頂いていたが、彼方からご冥福をお祈りしたい。そして、プロフェッショナルとして一定程度の研鑽を積んだ上で、改めて原著に挑戦しようと思う。

特に、「自己経営とはどんなことか」の回に感銘を受けて、若かりし自分は自らの自己経営チェックシートを作成したのを覚えている。以下、そこからの抜粋。
【第1原則】
時間はある。過去の30年ではなく今は50年もの現役の期間がある。名声を得た後の、80歳の時に「完全なオペラ」に挑戦したベルディがいた。
【第2原則】
目標とビジョンを持ち続けること。自分にとって目標になるモデルをもつこと。
【第3原則】
完全を目指す意志。「完全」は、心の底からの納得と言い換えてもいいかもしれません。自分を偽らないことです。
【第4原則】
一時には、一つのことに集中する。そして次々に、新しい分野のことに挑戦する。
【第5原則】
定期的に、目標と成果の差の検証を行い、差の原因に対する反省を行う。
【第6原則】
新しい仕事が要求するものを考えること。仕事が異なれば、過去に成功した方法とは違う方法が必要なはずである。
【第7原則】
始めるときに期待した成果を書きとめておくこと。そして、定期的にその結果と比較する。そこから自分の強み、弱みを知ること。そして、自己実現の映像を持ち続けること。

最後に著書の「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか」からの引用をもって、改めて追悼の意を表わさせて頂く。

彼はアテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させた。それらは今でも西洋最高の彫刻とされている。だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対して、アテネの会計官は支払いを拒んだ。「(屋根の上だから)彫像の背中は見えない。だれにも見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」と言った。それに対して、フェイディアスは次のように答えた。そんなことはない。神々が見ている。」(Underlined by 292)この話を読んだのは(衝撃を受けたオペラの)『ファルスタッフ』を聴いたあとだった。ここでも心を打たれた。

8 Nov 2005

働く過剰~働くということ(3)~

読み終わったので、次に感想を書く本。この分野も結構面白そうな気がしてきた。


働く過剰 大人のための若者読本


2 Nov 2005

www.nikkuni.com.br

誰かポルトガル語わかるひとに、この会社のサイトを訳してほしい。
移民だろうなぁ。七世代前くらいに遡ったら親族だったりして・・・。

IDEOみたいなデザイン・ファームなのかな。IDEOといえば、この本だけど。



発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
いくらお金がかかっても、自分の机周りとかオフィスって、こんな遊び心に溢れて
どこに何でも書き留められるようなユニークな空間がよいなぁと思う。
トム・ピーターズが大好きな人には、この本はホントおすすめ。(自分は大好き)
そういえば、トム・ピーターズの新しい本が出ていた。結構いい年にはなって
いるようだったが、あいかわらず熱狂的なクレイジーなカッコイイ本だった。

トム・ピーターズのマニフェスト(1) デザイン魂
「きみは誰なんだい?」という質問に、胸を張って答えられるようになりたい。
でも一方で、「アイデンティティ」みたいな縛りからは自由でいたい。難問。

マッキンゼー戦略の進化

DigitizationとThe Internetにより「戦略」というものの意味が拡散し始めたころの記録として、後に読まれる価値はあるかもしれませんが、結局は直近のMcKinsey Quarterlyからの抜粋翻訳なので、Historically provenでもないものが載ってしまっているのも事実でしょう。Portfolio of Initiativesは個人的には好きなフレームワークですが、これも残らないんでしょうかね。

帯では
 「線形思考」から「非線形思考」への進化
 -戦略に唯一最善解はない-
と謳っている。

不確実性が高まっている経営環境下において、どうやって有効な戦略を立てるかという問いに、「戦略を立てるだけ無駄だ」でも「こうやれば必ずうまくいく」でもなく、丁寧に不確実性のレベルを場合分けしたり多くのケースを調べたりしてどうにか「次の一手」を構築しようとしている本。

「マッキンゼー」の名前を毛嫌いせず、もう少し前に読んでおけば色々活用できたのかもしれないが、今読んだからこそ色々と理解ができているのかもしれない。自分の中では、去年取り組んだ「戦略立案」で行き詰まりを感じた壁に、梯子とまではいかなくても縄が垂れ下がって登れそうになった感じがした。

少なくとも、リスク(ファミリアリティ=経験知)×収益化タイミングのマトリックスで整理する
ポートフォリオ・オブ・イニシアチブ(POI)のコンセプトは使えそう。あと、二年前にPDCAシステムを組織にビルドインするべく四苦八苦したのは、あながち過ちではなかったのかなぁと感じた。PDCAってPlan-Do-Check-Adjustだと意味が分かりやすいなぁ。

複雑な世界を単純化するのではなく、複雑なまま如何に理解できるようにするか。かつ、机上の学問ではなく経営のフロンティアで如何に活かすことができるか。そういうチャレンジングな本だと感じた。複雑系とか生態系とかシステム論を少し体系的に学ぶ必要があるのかもしれない。アナロジーとして腑に落ちるように。

26 Oct 2005

人間力?~働くということ(2)~

こんな運動?行政活動?を知った。

○○を高めるという場合、基本的に○○は期待水準に達していなくて、かつ高める
ことが可能なのではないだろうか。その「人間力」とは、○○に当てはまるのか。

現状を知り、状況について考え、問題解決や目標達成の為に行動する。
3つのステップで社会の中で人と協力し、自立した一人の人間として
力強く生きる為の人間力を高めましょう。

人間力というか、ぶっちゃけemployabilityを指している気がする。と思ったら、
厚生労働省職業安定局がやっているらしい。手段としての、「人間力」なのだろうか。

現状認識、状況分析、問題解決、目標達成、チームワーク、自立と並べていくと、
新卒採用の基準のように聞こえる。最近、とある事情で個人的に妖怪人間ベムをネタに使うことが多かったが、それはあくまで自ら「人間になりたい」と言えるからであって、端から言われたら
「大きなお世話」ではないか。

「雇用(される)力を高めましょう」(んできちんと税金払ってもらいましょう)と言った方がいいと思うのは言い過ぎだろうか。

関係ないようで関係するけど、「希望のニート」は、面白かった。希望としての、ニート。

自分は、どっか欠けている。
同じように、他のみなもどっか欠けている。
誰かが言った、「僕らはみんな、生きている」と。
欠けている部分は、無理やりにでも埋めなきゃいけないものんだろうか。
欠けている部分は、無理やりにでも埋めなきゃいけない社会なんだろうか。

26 Sept 2005

ニート-フリーターでもなく失業者でもなく~働くということ(1)~


ニート―フリーターでもなく失業者でもなくを古本屋で購入、即日読破。

NEET="Not in Education, Employment, or Training"
教育を受けず、職に就いておらず、職業訓練を受けていない人たち。推計40万人。
(25歳未満の若者約1500万人中、失業者72万人、就業者573万人。
 残りの853万人中、就職希望者123万人、内定者91万人。
 残りの633万人中、在学者579万人、浪人生14万人。残ったのが40万人。)

「失業者」は、失職しながらも職探しをしている人のこと。
「フリーター」は、安定的な職ではないが働いている人のこと。
「ニート」は、そもそものところから異なる。


ニートは「働かない」のではない。「働けない」のだ。ニートは「働きたくない」のではなく、なぜか「働くために動き出すことができない」でいるだけだ。
「動き出せない」感覚は、なんとなく分かるかもしれない。といって、分かった気にはとてもなれないが。自分はたまたま周りに信頼できる人がいて、たまたま自分がやることを認めてもらえたから、そうはならなかっただけだろう。

安易な希望を語るのではなく、具体的な悩みに、真摯に立ち向かおうとしている。学術書や政策レポートではなく、ニートである人たちの声と書き手の想いが拙く伝わってくる、素敵な本だった。
財政学(といっても主に福祉国家論)の岡本先生が、なぜか授業の最後に薦めていたこの本も気になるから、探して読んでおこう。


自由と責任を1人で背負う社会よりも、どうせ人間は孤独なんだから、少しでも人が共に生きられるような社会を求めるのは、安易な希望なんだろうか。

11 Sept 2005

北海道と沖縄県~郵政解散(9)~

北海道
小選挙区では、自民対民主=5対7議席から、4対8議席になった。
比例区では、鈴木宗男が新党大地で比例当選を果たした。

沖縄県
小選挙区1区では、無所属・元自民の下地幹郎に自公協力が唯一破られ、
小選挙区2区では、社民の照屋寛徳が社民党唯一の小選挙区議席を維持した。

一方で、都心では自公が圧倒した。

全国的な旋風が吹く中、両端の道県は異なる声を貫いた。そんな気がした。
続きは試験後に。

10 Sept 2005

六大学野球速報

六大学野球で、T大が春優勝のW大を1-0の完封で破った!!
なんせ相手の選手は、高校野球の名門校ばかりなわけで、すげー。

勿論T大が勝ったことではなく、正捕手としてフル出場していたのが高校時代の
キャプテンなのでそれがむっちゃ嬉しい。ヒットも打ってるし。いいなぁ。

最後のリーグ戦、残り試合もイイ試合をしてもらいたいなぁ。1回は見に行こう。
てかこんなイイ試合なら、初日応援に行けばよかったよ・・・orz

投票速報~郵政解散(8)~

午前6時55分、近くの公民館。
そこには日曜日の早朝から数人が何かを待っている。そして、人影が少しずつ増え
10人を超えたところで鐘が鳴り、係の人がアナウンスをする。

 「ただいまより、衆議院議員・・・」

それを聞いて、思わず身震いした。「ああ、まつりごと」が始まる、と。

というわけで早速投票を済ませて、選挙権を適切に行使してきた。残念ながら8番目
だったので、公職選挙法施行令34条に定められた行為を行うことはできなかったが。


(投票箱に何も入つていないことの確認)第34条 投票管理者は、選挙人が投票をする前に、投票所内にいる選挙人の面前で投票箱を開き、その中に何も入つていないことを示さなければならない。

公職選挙法が当選人の最小限を「有効投票の総数のN分の一以上の得票」と規定
している以上、僕らに「誰も選ばない」という選択肢はない(ちなみに、立候補者が1人
だけならば同100条により無投票当選となる)。無効投票に関する規定である同68条
7項に「公職の候補者の氏名を自書しないもの」とあり、白票も無効票であるから。

だから、どんなに投票する意味がないと絶望しても、意思表示しないとその絶望は
絶対に反映されない。「現実解」を選ばないと、意味がない。その現実の中で、来年
から税金を適切に納める身として、ニュージーランドとかに逃げ出したほうがいいと
思うような国家の将来(インフレとか大増税とか)だけは選びたくない。

そして、この国にはまだ信用力がある=国民は、逃げ出すという選択を取らないはず。
そんなことを考えて、義務の履行ではなく、権利を行使してきた。

8 Sept 2005

国際政治とは何か~白帯(3)~

こんなんあるんだね。
思いの外ユーモアのセンスがなくて、残念。

白帯さんは、「運動」とか「イベント」に結びつけなくても(個人的にそういうのに参加して「連帯」したくない)、これまでこういうことに無関心だった層にペネトレイトして僅かながら行動を促すこと自体に意義があると思う。そして、それ以上ではない。

こういった「日本で一生懸命働いたカネを何で途上国にやらなきゃならんのか」「援助はただ甘えを生んでいるだけではないのか」という思考は、自分も通った道だから、ちゃんと整理しておきたい。とりあえず、自分の考えるポイントだけ。

  • 積極的な博愛を、幅広い人に求めることは難しい(その意味で白帯のメッセージには限界がある)
  • でも、好き嫌いを問わず同じフィールドで生きざるを得ない
  • そこでは、カネよりも大事にせざるを得ない価値観がある


↓は自分が非常に感銘を受けた、タイトルでもあるお薦めの本。

6 Sept 2005

判断基準~郵政解散(7)~

大雑把ながら、忘れないように自分の価値観をメモしておく。投票まであと5日。

期日日前投票を、去年の参院選だと投票者の12.4%にあたる717万人も利用したらしい。基本的に権利行使の機会拡大(当日投票ができても期日日前に済ましてしまう人もいるだろうけど)だから、逆にこれがなかったら、56.6%だった投票率はどこまで下がっていたのか。(公職選挙法改正で03年12月から施行)

以下、今回選挙戦を見ながら色々と考えた対立軸。
■選挙戦略(≒サービス戦略)
政策マーケティング重視(サービス>伝え方) vs パブリシティ重視(サービス<伝え方)
■政治家(≠経営者)
理路整然(ロジック) vs 直感重視(意思)
■政治(≠経営)
信念とコンセンサスのバランス  vs 信念かコンセンサスのどちらかだけ
■権力
地方分権(分散した中でどこかが生き残ればよい)  vs  中央集権(挙国一致での生き残りを図る)
■民主主義
参加型民主主義(大衆が政治参加により優れた市民となって行う政治運営)  vs  エリート民主主義(一部の優れたエリートが効率的に行う政治運営)

■おまけ
余談だが、財政学(≒福祉国家論)の答案に書いてしまったが、主権国家が国境から融解していくというEUと逆の方向で、国境の中で主権国家を分割していくという実験を、この国で行うことはできないだろうか。直感的にだけど、その方が「当事者意識」ってより醸成・共有しやすくなるんじゃないのかなぁ。

トム・ピーターズ風に言うならば、「国(人生)をあいつらの手から取り戻せ!」。

5 Sept 2005

絶望に効くクスリ(5)

試験後、絶望に効くクスリ(5)が出てたので購入。

やられた。何て言うか、試験中に読むもんじゃねぇや。特に今回のような迷うことを捨てている試験期間に(あと7個)富野由悠季の言葉はがつんときた。

そんなに人は強固であるとは思えない。日々の暮らしの中で、365日飽きもせず田んぼを耕すことができるというのが、庶民の基本的な強さで、それを愚民(上点で強調)と言い得るのか?と考えた時に、庶民には庶民の貴さがあるはずだと。なのに権力を行使する人達は根本的に違う所にいる…統治者の問題は、結局自分達の趣味で何かをやっているということで、政治の理想は本当の民百姓に思いをはせることなんだろうな…と。

ああ、心の中の批判精神(口だけ野郎)が、また五月蠅くなる。
「俺は、これでいいのかい?」と。

2 Sept 2005

人口統計クイズ

Sleipnirを使い出したがこりゃ便利だね。
試験勉強のまとめ。残り試験9個。

「先進地域は、開発途上地域より死亡率が低い」
「平均寿命は、ある年次に死亡した人間の平均年齢である」
「合計特殊出生率とは、一人の女性が生涯に生む平均の子供数である」
「今後我が国は、高齢人口が増え続けるために人口高齢化が続く」

Q.以上の文章のうち、正しい認識はどれか。

A.全て誤解である。
「先進地域は、開発途上地域より死亡率が低い」
→国連によれば、2000-2005年における先進地域の年齢別死亡率はすべての
 年齢で途上地域よりも低いが、先進地域の普通死亡率は1.02%で、開発途上
 地域の0.87%より高い。また、日本を含むほとんどの先進国では普通死亡率
 が上昇している。これらは、人口高齢化にともなう高齢化層の人口ウェイト
 の効果である。※普通死亡率=Σ{(年齢別死亡率)×(年齢別人口割合)}
「平均寿命は、ある年次に死亡した人間の平均年齢である」
→平均寿命は、ある年次の年齢別死亡数・年齢別人口・出世数に基づいて作成
 する生命表から計算する指標で、当該年次の生存-死亡状況にしたがうと
 仮定したときに出生児が生存する年数の期待値である。よって、実際に生存
 する年数は、前提となる生存-死亡状況の変化によって大きく変わり得る。
「合計特殊出生率とは、一人の女性が生涯に生む平均の子供数である」
→ある年次の年齢別出生数と年齢別女子総数(正確には生存のべ人数)を
 割った数値を年齢別に(通常15歳から50歳まで)足し合わせた数値であり、
 各年齢で生む子供の期待値の総和である。これも平均寿命と同様に、現在の
 出生状況を前提として置いているため、前提の変化によって大きく変わり
 得る。実際の「一人の女性が生涯に生む平均の子供数」は同一年生まれ世代
 (出生コーホート)の女性の出生率を過去から積み上げることで算出する。
 ちなみに、人口増減がなくなる人口置き換え水準は、出生性比(女子100に
 対する男子の割合)と死亡率を加味した数値となり、2.07程度である。
「今後我が国は、高齢人口が増え続けるために人口高齢化が続く」
→必ずしも高齢人口の増加だけではなく、出生率低下に伴う人口の減少が
 大きく作用している。なお、中位推計(国立社会保障・人口問題研究所が
 出す3推計値の真ん中の数値)では、総人口の減少は下げ止まらなくとも、
 老年人口割合(65歳人口の占める割合、04.10.1現在19.5%)老年人口割合
 は2050年の32.5%をピークに、その後は緩やかに低下して2100年には30%を
 下回っている

29 Aug 2005

公職選挙法~郵政解散(6)~

公職選挙法を見てみた。

第146条(文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限)
何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第142条(文書図画の頒布)又は第143条(文書図画の掲示)の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。

ブログってどこまで撤去され得るんだろうか。

一応過去のエントリーを見てみたら、郵政解散シリーズの1,2,5は財政運営のレポートであり、4は客観的な政策分析レポートだから問題なさそうだが、3(広島6区の趨勢について)はグレーだし、6(政党CMについて)は多分、「政党」を「支持し」ている「文書図画」になるっぽい。後は、「頒布し又は掲示」の解釈次第だな。

撤去については、都道府県または市町村の選挙管理委員会が可能なようだ。立法目的は、「著述、演劇党の広告」が挙げられていることから、別手段を利用した多数への推薦の禁止なんだろうから、実名出して書いている人気ブログとかは気にしないといけないんだろう。ただ、どこの選管がこれを取り締まるんだろうか。サーバーのある地域かな。記入者の居住地かな。
第147条(文書図画の撤去)
都道府県又は市町村の選挙管理委員会は、次の各号のいずれかに該当する文書図画があると認めるときは、撤去させることができる。この場合において、都道府県又は市町村の選挙管理委員会は、あらかじめ、その旨を当該警察署長に通報するものとする。
1.第143条(文書図画の掲示)、第144条(ポスターの数)又は第164条の2(個人演説会等の会場の掲示の特例)第2項若しくは第4項の規定に違反して掲示したもの
2.第143条第16項に規定する公職の候補者等若しくは後援団体が当該公職の候補者等若しくは後援団体となる前に掲示された文書図面で同項の規定に該当するもの又は同項の公職の候補者等若しくは後援団体に係る同条第19項各号の区分による当該選挙ごとに当該各号に定める期間前若しくは期間中に掲示したポスターで当該期間中において同条第16項の規定に該当するもの
3.第143条の2(文書図画の撤去義務)の規定に違反して撤去しないもの
4.第145条(ポスターの掲示箇所等)第1項又は第2項(第164条の2第5項において準用する場合を含む。)の規定に違反して掲示したもの
5.選挙運動の期間前又は期間中に掲示した文書図画で前条の規定に該当するもの

ただし、新聞と雑誌については報道及び評論の自由を担保している。「事実
を歪曲して記載」しているような新聞・雑誌はたくさんありそうだが。
第148条(新聞紙、雑誌の報道及び評論等の自由)
この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第138条の3(人気投票の公表の禁止)の規定を除く。)は、新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。

26 Aug 2005

プライマリーバランス黒字化~郵政解散(5)~

郵政民営化で国債発行にディスプリンが効くとしても(あやしいが)やはり選挙の本質的な争点は財政改革だろうと、財政学の試験勉強も兼ねて勉強。

まず、2005年度の一般会計予算のおさらい。15.9兆円の赤字状態から開始。想定以上にシビアな結果になった。


その上で、政府・自民党が掲げている「2010年度のプライマリーバランスの黒字化」の実現のために、現実的に数値を動かしてみた。確かに現状から歳出2割強をカットすれば実現はするのだが、もう少しシビアに考えてみた。

■歳入
・所得税(+2.6兆円)、法人税(+2.3)、その他税(+1.8)を2割増
・消費税を倍増(消費税10%導入、+10.2兆円)
■歳出
・社会保障費(年金・医療・介護etc)を3割増(+6.1兆円)
・公共事業を3割減(-2.3兆円)
・地方交付税交付金を2割減(この分の地方財源については放置、-3.2兆円)
■その他の想定
・国債費1割増(金利上昇による利払費増、+1.8兆円)
という「増税(+16.9兆円)+歳出微増(+0.6兆円)」によって、ようやく「プライマリーバランス黒字」を達成。

国民負担率にいける租税負担率は現状21.5%の+5ポイントを見積もっても、まだOECD比較では低水準になる。※黒字幅は0.3兆円が正しい、上記0.1兆円は計算ミス

ちなみにこの作業は、財務省のゲームでもできる。民主党マニフェストだと、3年間で
「マニフェスト政策実施のために約7兆円を充当する一方で、
  ・国の直轄公共事業半減(1.3兆円)
  ・国家公務員人件費総額2割減(1兆円)
  ・特殊法人向け支出半減(1.8兆円)
  ・現在の個別補助金の一括交付金化に伴う2割減(2.8兆円)
  ・税源移譲に伴う交付税削減(1.7兆円)
  ・その他経費の1割削減
  ・特別会計の徹底的な見直しなど
によって、17兆円の既存経費カットを実現します。」となっていて、火急な増税
はしない(当座の年金目的消費税3%は除く)としているが、どちらにせよいずれ
必要になるだろう。

自民党マニフェストだと過去5年間で10兆円削減の実績には触れているが、具体的な今後の削減案には触れていない。政府税調の発表はどうなるのか。


これを5年で達成するとなると、おおよそ05年度発行35兆が10年度には20兆へ
減少して積み上がりが止まるので、線形減少で考えるとプラス145兆といった
ところだろうか。さらに、2005年3月末現在の国の借金残高を見ると、
      発行残高 前期末増減
国債     626.4   69.9
借入金     59.1   -1.5
政府短期証券  96.1   10.0
政府保証債務  58.1   -0.2
合計     839.7   78.2
となっているので、1000兆円前で残高が横ばいになるはず。個人金融資産が1400兆円の国家において、これはどれぐらいの水準になるのか。75%を超えたくらいか・・・まぁ法人金融資産もあるが、一斉の国債売りが起きるような水準がおそらく国家としてのbankruptcy pointになるだろう。

そのポイントを理解して、どこまで政治で争っている「余裕」があるのかを見極めてから今回は投票したいなぁ。とか考えていたら、やたら国債やらの残高伸び額が一般会計に現れる部分より大きい。そうか、特別会計の分かと考えて、特別会計の歳出総額を探したら、411.9兆円。明日は財政学のここらへんを復習せねば。財政は広い。

23 Aug 2005

政党ポジショニング~郵政解散(4)~

「候補者主張による政策ポジショニング」というテーマ設定で、文学部の授業向けにレポート作成。2単位げっと(のはず)。

  1. 候補者向けのアンケート※から政策主張への賛否の部分を抽出する
  2. 主成分分析にかけて、面白そうな2軸を取り出す
  3. 2軸による平面に各党候補者をマッピング、傾向を見る

データ元:2003年衆議院総選挙前の集補者向けのアンケート<ココ

20の政策主張への評価に主成分分析をかけることで、少ない数でより説明力の強い成分を取り出し、上位2成分に
 ・第1軸:値が大きいほど「対外弱気・軍拡反対」
 ・第2軸:値が大きいほど「小さな政府・役割限定」
とうまく意味づけすることができたので、その固有ベクトルと各候補者回答を掛けて2パラメーターを抽出し、その2パラメーターマッピングした。これまでに学んだ統計知識を使って、それなりのマップが出来た。
2003年衆議院総選挙前の候補者アンケートによる政党ポジショニング(主成分分析)

公明党は、ボードを握っている政党として、民主党と自民党の間の極めて合理的な立ち位置だと考える。ここで想定以上に自民候補者の広がりが大きかったので、連続的な数値を5×5の
マトリックスに分けて、人数を三次元ヒストグラムにして見てみた。

自民党・民主党候補者のヒストグラム

以前蒲島先生の記事で見たような形では民主党に複数の頂点は出来ず、政策的な違いを除けばあまり自民と変わらない分布形になっている。今回選挙でも同様の調査をやることで、さらなる変化を追うことが出来る。おそらく自民はより「小さな政府」志向になっているはず(べき?)だろうし逆に、広がりは狭くなっているかもしれない。

今後は、自民・民主ともに幅広い支持層を獲得しようとする結果政策主張の幅が広がり、二大政党へと歩みを進める一方で、本質的に国民の選択肢となるべく、「対外強気・軍備増強or対外弱気・軍拡反対」「大きな政府・役割維持or小さな政府・役割限定」という政策の2×2マトリックスからポジションを定め国民に選択を迫るような政界再編が、今後の日本政治において望ましいだろう。

20 Aug 2005

「敵」に塩~郵政解散(3)~

話題になっている小選挙区広島6区。

前回総選挙では、
当選 亀井 静香  67 自民  前 117659 (9回目)
比当 佐藤 公治  44 民主  前 100677 (2回目) 重複
   寺田 明充  52 共産  新  10846
という結果だった。

ここでポイントなのがこの地区の比例区得票数で、ざっと計算すると
民主:8万、自民:8万、公明:4万、社民:1万、共産:1万となっている。
これを前提に、複数シナリオをシミュレートしてみる。

A)亀井(自民非公認)vs佐藤の一騎打ち
自民支持層(ロイヤリティが高く前回「比例は公明へ」を守った組織票的4万票とそれ以外の8万票)が自主投票になり、佐藤が基礎票として9万票(民主+社民支持層)持つことから、自民支持層の8万票の部分から20%の造反があれば(亀井と党本部との対立を考えれば十分にありそう)、佐藤が当選することになる。

B)自民党が公認で新人を投入
民主支持層8万票を部分的に食うことができるかもしれないが、例え20%を食って、かつ党公認を元に組織票的な4万票を確保したとしても、残りの流動的な自民支持層8万票を現職9選の亀井と奪い合って3割以上を確保できないと負ける。亀井は8万のうち9割以上を確保すると当選の目があるため支持拡大を図るだろうが、7割以上確保したら共倒れになる。佐藤は、8万×80%+1万=7.4万+αの得票を期待できるため、「漁夫の利」を得る可能性が高い。

C)無所属の堀江社長投入
この場合、1)と同様自民党支持層は自主投票となる。この時に、彼らは亀井・堀江・佐藤から誰を選ぶのか。また、民主支持層はどのように動くか。ここで、広島6区の有権者は三原・尾道市というそこそこ大きい市部(2市で有権者14万)をのぞいて、20万は小さな市町村に分布しており、殆どは亀井が前回勝っている。このように比較的小さな市町村に分布する自民支持層が、堀江に動くとは考えにくいし、自民党県連が「誰を応援しても問題ない」と安堵しているようだと、彼らの多くが亀井に投票して、結果、亀井は7-8万票を確保するのではないだろうか。さらに、民主支持層が多い都市部を中心とした選挙運動を堀江が展開したとしたら、佐藤と堀江が食い
合ってしまい、見事に「漁夫の利」を得るのは亀井になる。

広島6区は、都市部の支持だけで勝ち抜ける選挙区ではない。そこで、都市部に強そうな堀江を投入したことは、結果として亀井に塩を送ることではないだろうか。自民党執行部からすれば(小泉の意向はともかく)、野党の民主党候補よりも、今後再度一緒にやれるかもしれない人を考えた結果なのかもしれない。それだけでなく、「自民公認」にしていたら、6区を取れたとしても全体の趨勢についてダウンサイドリスクが大きい気がする。

いろんな要素を考え、ある意味、今回総選挙では広島6区は「捨てた」のだろう。静的な予想だけでこれだけ考えられたので、これからのダイナミックな選挙戦の動きを楽しみにしたい。

18 Aug 2005

自分を処する

何かを調べて、頭の中で整理して、文章として吐き出すことが楽しい。
最近の都議選とか郵政民営化関連のエントリーとかまさにそうだけど。
これが続くのなら、研究とか文筆活動も性に合っていると思う。

日経新聞の秋採用でも考えようかなぁ・・・とまでは考えないけれど。

さて、題名。
シソーラス(類語)検索では、一番上に「決める」「決定する」。
英辞郎on the webでは、身を処するで"conduct oneself"。
Excite辞書では、「(「身を処する」の形で)状況に応じた行動をする」。
一番最後のが一番伝えたいニュアンスから遠い。"conduct myself"ってのも
なんかいい。でも、「自分を決定する」ってのがいい。シソーラスは偉大だ。
「自分で決定する」「自分が決定する」ではなく、「自分を決定する」。
何が言いたいかというと、「強さ」って「自分を処する能力」なんかなと。
そして、「突き放す優しさ」って、「自分を処する」ことができないと、
得られないのではないかと。最近そう思うのです。

17 Aug 2005

郵政公社~郵政解散(2)~

財政改革と郵政民営化の補論。

総務省が郵便貯金の中長期的資金運用ポートフォリオを出している。
それによると、
 国債・・・80%  ■■■■■■■■■■■■■■■■
 外国債・・・5% ■
 外国株・・・5% ■
 国内株・・・5% ■
 短期資金・・5% ■
と、ほとんどが国債で運用していくらしい。本質的に変わらないやん。

また、財務省の資料だと、H15-18における資産構成計画は
■郵便貯金
 ・国内債券を基本とする
 ・国内株式概ね2%以下、外国債券概ね3%以下、外国株式概ね1%以下
 ・上記3つ合計でも概ね4%以下
■簡易保険
 ・国内債券 80%
 ・外国債券 2-6%
 ・国内株式 2-6%
 ・外国株式 0-3%
 ・短期運用 0-10%
となっている。まあ、ほとんど変わらない。
じゃあ実際はどうなっているのかと、郵政公社に飛んで現在の資金運用状況を概観する。以下の数字は2005年6月末現在のもの。

■郵貯資金(211兆円)
 国債・・・・52.7%
 預託金・・・33.0%
 地方債・・・4.4%
 社債・・・・3.7%(2.3%は公団社債)
 貸付金・・・2.0%(1.6%は地方公共団体)
 外国債・・・1.4%
 その他・・・2.8%
郵政公社後を追ってみても結局、
郵便貯金の資産運用推移(2003年4月末から2005年6月末)
となっており、全体のボリュームを減らしながら預託金が国債への運用に替わっていき、結局85%前後は国の資金であり続けている(預託金は財政投融資預託金であるため)割合としては変化していないことがわかる。これが、民営化(株式会社化+株式公開)したとしても、
民間への資金環流に変えられるのか?
それだけの運用能力を持っている、もしくはこれから身に付けられるのか?
また、これだけの国債を国債市場で売っても、日本財政は大丈夫なのか?

■簡易保険(119兆円)
 国債・・・・49.3%
 貸付金・・・20.5%(16.8%は地方公共団体)
 社債・・・・15.8%(13.3%は公団社債)
 金銭信託・・7.0%
 地方債・・・5.1%
 外国債・・・1.4%
 その他・・0.9%
こちらは疲れたのでまた次回。とりあえず、どうやったら財務省・政府へのディスプリンが効くようになるのかのストーリーは、まだ、全然見えない。

16 Aug 2005

「反自公」協力~都議選(4)~

共産党がもし都議選での全候補出馬を見送り、民主党と「反自公」で一致協力していたら。そんな、無謀な仮定の可能性を検討してみる。

■民主党の「躍進」
まず、過去の自民党対民主党の流れをおさえておく。
1997年、2001年、2005年都議選結果の比較

01年都議選(小泉政権直後)で自民党は確かに勝率(立候補者のうち当選者の割合)と得票率(総有効投票数中の総得票数の割合)を伸ばした。しかし、その一方で裏では民主党が確実に勝率を伸ばしていた。

そして、今回の05年都議選では民主党は、03年の自由党との合併もあってカバーできる範囲を広げ、勝率は上がらなかったが、結果として多くの議席を確保することができ得票率は倍増に近い伸びを示した。自民党が得票率と勝率を下げた一方でこれは「躍進」と言っても過言ではないだろう。

■「反自公」仮定
ここで、全選挙区に候補者を出しており、都議会では第四党となっている共産党の存在に注目してみたい。同党は、97年都議選では44候補者中26名を議会に送り込み第二党となったが、01年都議選で15/44と大きく議席を減らし民主党の成長もあり第四党となっていた。同党が、趨勢を見極め、政策主張的な一致点は少ないものの、あえて「反自公」ということで民主党と選挙協力
を結んだら、今回選挙結果はどうなっていたか。

ここで、選挙協力の結果として、共産党候補者へ投票した人のうち
・50%は選挙協力の通り民主党候補者へ投票
・20%は自民・民主・公明以外の候補者へ投票
・30%は棄権
という投票行動を取ると仮定した。

すると、42選挙区中24選挙区では変化がなかったが、残りの選挙区では以下の議席の移動が推定された。
 共産→ネットワーク 3(大田区、日野市、八王子市)
 共産→自民 4(江戸川区、足立区、杉並区、板橋区)
 共産→民主 5(練馬区、北区、中野区、世田谷区、新宿区)
 共産→無所属 1(文京区)
 自民→民主 3(荒川区、品川区、西多摩)
 無所属→民主 2(三鷹市、府中市)

以上をまとめると、以下の票のような効果が推定される。
都議選分析4

■まとめ
民主党は10議席をさらに上乗せできるが、これでは「反自公」として自公を覆すほどの規模には到達しない(政党間で議会協力をした方がまし)。さらに、仮定の数字の見積もりの甘さも考えられるし、今回の仮定では無視したが、実際には共産党と協力することで従来の民主党支持者が反発するというマイナス要因も考えられるので、結論としては、この「反自公」協力の
枠組みは、民主党として取るべき方向ではない。

12 Aug 2005

財政改革と郵政民営化~郵政解散(1)~

財政学でもらった数字を元に、郵政民営化の本質について考えてみる。

財政改革の本質を「プライマリー・バランス」を目指すこと、すなわち
国債発行収入と国債償還・利払い費用を差し引いた国家財政の収支安定化
だとすると、そのための方向性として考えられるのは次の三点だ。

すなわち、

  1. 税収を中心とした収入を増やす
  2. 一般歳出を削減する
  3. 地方交付税等の配分を削減する

のどれかになるだろう。こうやってプライマリー・バランスを黒字化して初めて、700兆円を超えるという借金を返せる体質になる。その過程の中で、郵政民営化の意味合いはどこにあるのか。

郵政民営化の本来の目的は、郵貯+簡保マネーに市場のディスプリンを効かせることで、安易な赤字国債購入を許さない、すなわち財務省・財政投融資あたりにディスプリンを効かせて、究極的には2.一般歳出の削減を達成することなのだろう。例え現状の郵貯・簡保マネーが巨額の国債・政府貸付で事実上凍り付いていても、今後のこれ以上の資金流入を防ぐことが出来る。

 (但し、これ以上郵貯+簡保が増えないとこの議論は無意味。増えないと
 仮定すると、民営化に関わらずにこれ以上の国債購入は困難なのだから、
 (すなわち、郵貯+簡保への資金流入が小さくなることが、結果的に上記
 ディスプリンと同じ効果を生む)むしろ民営化により「利益=運用益」を
 目指すためには、運用可能な資金が少ない点から、少しずつ国債を売って
 資金調達せざるを得ない巨大「日本売り」金融機関が出来るだけだろう。)

これは、国債買い手資金の抑制であり、結果的に国債売りはより高い利率にさらされ、国の運営のための資金調達として厳しいものになり、一般歳出や財政投融資への抑制効果を生む可能性はあるかもしれない。が、また一方で、1.税収増大へと向かう可能性もある。

つまり、「この国のカタチ」となる方向性はまだ確定していない。財政改革って究極的には「あるべき国のカタチ」を問うことだと思っていて、
・高負担+高保障の「福祉国家」
・低負担+低保障の「小さな政府」
のどちらなのか、それを国民1人1人が選択する必要があると思う。

(論理的にはあり得る高負担+低保障の国家では民意が永続きしない
 だろうし、低負担+高保障の国家ではすぐに財政が破綻する。)

また、そういった「国家観」が定まって始めて、プライマリー・バランスの規模や、今後の国債発行高をどのように抑えていくかといった議論ができるだろう。現状の国会の議論は本質を突いていないことを痛感。その意味では、自民党と民主党が、選択肢として明確に分かれるのが理想。

でも国民の意識が中道(どっちつかず)の分布だと、分かれはしないはず。こういった理想論とは別に、一時期の高負担+低保障路線でとりあえずはプライマリー・バランスを安定させる最短経路を計算して、安定したとこであらためて議論、というのが現実的な政治解かもしれない。

早々と「選択」をするか、高負担+低保障に耐えられず覚悟を決めるか、国家財政破綻を迎えても地域を活かすカタチで生き延びていくか。結局は、1人1人の有権者が、覚悟を決めるしかないのかなぁと。

5 Aug 2005

白帯


ようやく届く。二本来たので一本は親に譲る。

たまに付けて外出するが突っ込みは少なく、見かける同志はもっと少ない。
ちと残念。

18 Jul 2005

民主主義は非効率

民主主義は非効率だ。

別にアローの定理を指して言っているわけではなく、(これはこれできちんと理解しておくべきだが)実感的にそう感じている。別に民主主義を避難しているわけじゃなく、それ(効率という価値観を最重要視していない)を前提にして、意思決定過程を考えなきゃいけないはずだろう。

民主主義には、もしくは国家には明確な目的が定められているわけではない。どちらかというと、目的を共有している人間の集まりではない。様々な思惑と意図を持つ人間によって構成されている(されざるをえない)。

なぜなら、組織と違い国家はほぼ所与なものである。個人の選好により選ぶケースは少ない。そこに「共通目的」みたいなものがセットされないのも、当然と言えば当然かもしれない。これは国家成立直後は当てはまらないが、国家が成熟すればするほど当てはまるだろう。

だから、非効率になっていって当然なんだろう。でも、排除を繰り返し同質になることで効率性を高めようとするのではなく、多様な価値観の人間を無理にでも内包し、妥協と罵倒を繰り返しながら、寛容の精神で共生していく。それでよいのだと思う。

だから自分は、効率的なエリート型民主主義をうさんくさく感じ、非効率な参加型民主主義を気に入っている。なにより、自分も、参加によって考え行動する機会を与えられた人間だから。

余談だが、組織(目的を共有しコミュニケーションを取りながら目的達成のために行動する人間の集合体)の運営に民主主義は適切ではない。なぜなら組織には目的(価値観)がセットされているからであり、感覚的にそこからほとんどの意思決定の判断は論理的に考えれば導出、選択できる。そこに、合議の必要性は存在しない(ただし、合議する(あるいは、合議するふり
をすることにより目的を共有する・コミュニケーションを取る等組織をより動かし易くすることができるという効果は十二分に考慮すべきだろう)。

14 Jul 2005

お遍路(2)

というわけで行ってきました( ・∀・)

といっても非常に近場であるここだけど。
一応「四国八十八ヶ所霊場のうつしでもあります」らしい。

いろいろ考えながら回れるかと思っていたが、歩き出したらはぁはぁいい出して、無思考状態。あるいみはっぴー。

願掛けも兼ねて、小一時間でさらっと回れたが、山道を駆けめぐった?ため思いの外体力を損失。ぐわぁ、絶対値自体が大幅に落ちている。まじぃ。というわけで夜のランニングを復活。似た状況の友人に負けてなるものか。関係ないけど検索したらこんなん出てきた。くはは。

12 Jul 2005

追悼 小倉昌男さん

以前に少しだけ触れた小倉昌男さんが、少し前に亡くなられた



彼の著作である「小倉昌男 経営学」等に非常に感銘を受けていたので、今回の知らせは衝撃だった。「おかしいこと」に対して筋を通して霞ヶ関と闘い、「宅配便」を作って採算の取れる規模まで事業を拡大し、引退後は自分の保有していたヤマト株売却代金を基礎にヤマト福祉財団を設立し、最終的には全株を売却して無報酬でヤマト福祉財団の運営に当たり、福祉へ経営の視点を導入する活動を精力的に行っていると聞いていた。

自分が「こうありたい、こう老いたい」と思わせてくれた素敵な方だった。

アイセックをやりながら彼の「経営学」に出てくる、経営リーダー10の条件
  1. 論理的思考
  2. 時代の風を読む
  3. 戦略的思考
  4. 攻めの経営
  5. 行政に頼らぬ自立の精神
  6. 政治家に頼るな、自助努力あるのみ
  7. マスコミとの良い関係
  8. 明るい性格
  9. 身銭を切ること
  10. 高い倫理観
を読むたびに、「自分はまだまだすぎる・・・」と思ったものだった。

この人のことを思い返すたびに、社会貢献をなす公器としての会社の存在を強く思い、それが「会社は誰のために存在するのか」という問いへの一つの解だと感じる。そして、「誰のモノか」を問う前に、お客さん・従業員・株主・経営陣・ステークホルダーにWin-Winの関係を構築することが「経営」なんだと思う。

経営者になるんだったら、小倉さんのような経営者になりたい。逆に、その条件を満たさないで「経営者」だなんておこがましい。おかしいと思ったときに、筋を通せる。そんな人間でありたい。お会いしたことすらないですが、ご冥福をお祈りします。

8 Jul 2005

当落線上~都議選(3)~

ちょっと都議選を分析してみた。

まずは、「当落線上」と言われる線は、今回の選挙では一体どのあたりだったのだろうか。手法としては、得票率で線を引くことを考えたが、選挙区ごとの定数の違いを補正して有権者の支持を計算することとした。

まずは、当選者と落選者に分けて、それぞれの得票数を定数当たり選挙区有権者数で除した割合(得票数÷選挙区有権者数÷定数)を求め、5%の階層ごとでヒストグラム(実際には折れ線グラフ)を作成して、定数当たり有権者数のどのくらいの支持が分岐点、すなわち「当落線上」になるのかを見てみた。結果は次の適当な題名のグラフの通り。

2005年東京都議会 当落線上
当落が分かれたのは20%-25%の支持のレンジだった。それ以下のレンジで当選している候補者は4名、逆にそれ以上なのに落選してしまった候補者は8名だった。定数が126名であったことを考えれば、1割弱の人が他の選挙区と比較して少し不可思議な投票結果となっており、9割くらいの人は正当な結果となったと言えるのではないだろうか(ただし当落線上の人たちを詳細
に分析してみないとそうとも言い切れない)。

そもそも、この「当落線」が20-25%という数字は、基本的には投票率に左右される線なのだろうけど、選挙区の定数当たりの有権者の1/4超の意思さえ集まれば、ある人間を都政に送り込めるということになる。さらに、実際の過半数に等しい50%以上の支持を集めた当選者はわずか10名だった。

この数字を多いと見るか、少ないと見るか。少ないだろ。民主主義っていう余り効率的でないシステムの大前提である人民の参加が得られないと、このシステムはますます非効率になるばかりだろう。

自由論

世の中には、フィクションの存在がたくさんある。

その中でも、「それを守る/維持するための」行動が正当化されやすい代表的
なフィクションとしては、
 ・国民(nationality)
 ・民族(ethnicity)
 ・自己同一性(identity)
なんかじゃないだろうか。

※国家は「制度」であるという二面性もあるのではずしました。

でも、それらを守ったからといって、人間がハッピーになるわけではない。
たしかに心の拠り所にはなる。その安心感だけで、十分なのかもしれない。
でも、自分には違和感がある。それは、一種の思考放棄だから。

こういった「誰かの幻想」から自由になること。
1人1人の人間にとっての価値を見つめること。
具体的に、考えること。
「人のいうことを聞かない」=「徹底的に自分の頭で考える」
全ての幻想から解き放たれて、自己以外拠り所のない、孤独。
それが、自分にとっての自由だと思う。

3 Jul 2005

選挙バイト~都議選(2)~

都議選のアルバイト(投票所設営+投票事務+開票事務)をやった。拘束時間は長いにせよ、最忙時を想定してバッファーがあるため、かなりのんびりだった。立会人のおばちゃんと、お茶を飲みながら年金について話を聞いたり、トクヨウ(特別養護老人ホームの略称、最初何のことを言っているのだかわからなかった)の話を聞いたり。

ちょうど社会保障法やら財政学やらでいろいろと学んでいたことが役に立ち、同じバイトの学生さんよりも職員さんや立会人の方々との会話の方が盛り上がる。

↓記念に腕章をパチリ。もちろん返却済み。


投票率は43.99%と過去二番目の低さとなった。一番ひどいのは港区で34.08%、次いで渋谷区の34.33%。一方で、一番高いのは島部の68.66%。大きく離れて北多摩第一(東村山市、東大和市、武蔵村山市、北多摩第二)の50.3%。

やはり、議員が身近ではない、すなわち議員当たりの有権者数が多いほうが有効感が低くなって投票行動をとらなくなる(モデル)のではないかと考えて、選挙区ごとの投票率と定数当たり有権者人口をプロットして相関を見てみた。

2005年東京都議選 定数あたり有権者数と投票率の相関

島部の外れ値を補正して計算したら、残念ながらめぼしい結果は出ず。残念。

30 Jun 2005

マクドナルド

マクドナルドの当期業績予想の下方修正の発表があったのは17日
んで、23日に店舗@自宅近くに行ったところバリューセット+100円マックの
組合わせを提唱する(+祖利益が高そうな商品の単独割引)クーポンを配り
30日に同じ店に行ったら、メニューから100円マックシリーズが脇にのけられ
バリューセットが幅をきかせていた。

経営のスピードとしては、もう少し早くできそうだけど、数字が揃って1ヶ月
以内に次の打ち手をだしてくるのは、あれだけの大企業にしては早いんだろう。

100円マックシリーズの投入自体、ほとんど既存製品の値下げ(すなわち祖利
のお客への還元)により、客単価を犠牲にして客数の向上を図り、結果的に
それらの掛け算となる売上高アップを狙ったものだろう。CMも100円有るなら
傘買うよりマックで100円使って雨宿りして下さい、とうたっていたし。
その意図していたこと自体は成功したはず。ただ、当然だが利益は出にくく
なった。そりゃ100円マックにせよバリューセットにせよ今までより値段を
下げているのだから(かつ、革新的なコストカットがあったということも
考えられずむしろ「メイドフォーユー」により設備+人件費が嵩んでいる)。
ただ、それで今どたばたとお客の購買行動をバリューセットにシフトしよう
としているのは、多分、想定していた以上に「100円マックだけ」のお客が
多かったということなんだろう。

基本的にはお客は食事目的と食事以外(打ち合わせや休憩、ようは机と椅子)
目的のどちらかで、前者は値段の下がったバリューセットを頼む人と、差別化
されない「ドリンク」に手を出さず、またおそらく祖利益一番高い「ポテト」
に価値を見出さないで単品や100円マックですませる人で、後者は100円マック
のおかげで安くなったドリンクSですませて長居する人になる。
でも、客単価上げようにもバリューセットの再値上げはまた客離れを生むかも
だし、クーポンで提示しているバリューセット+100円マックは正味日本人の
お昼の胃袋的に多い気がするので定着はしなそう。

となると、次の打ち手は、既存製品を強くする作戦=祖利益高そうなポテトに
付加価値を付けていく作戦(例、ファーストキッチン)か、新製品を投入する
作戦=高級ブランドを投入する作戦(例、モスバーガー)のどちらかだろう。
個人的には、高級路線よりも、味気ないポテトからの脱却を図って欲しい。
というか、そもそも開き直って「ウチは薄利多売だ!」の姿勢で消費者的には
よいのだが資本市場的には許されないんだろうな。配当出にくくなるし。
ちなみに、クーポンが配られようがメニューが変わろうが、その前までと同様
どちらも200円しか使わなかったし、それは100円マックがある限り変えられ
なさそう。資金繰り的問題。くわあ。残念。

20 Jun 2005

選挙~都議選(1)~

7/3の都議選のアルバイトをすることになった。選挙区は武蔵野市。投票所設営から手伝って、投票受付、開票作業までを朝から晩まで従事する予定。

既に成人なので、何回か投票はしたことがあるのだが、逆の立場から見ることができるので非常に楽しみである。

ただ、選挙区が違う自分がその日に投票出来ないことは自明なので、不在者投票をせねばならぬ。むかし、アイセックの総会と重なって不在者投票をしたことがあるので、やり方は知っているが、投票前に駅前に行く等選挙の「お祭り」感を味わえないのはちと残念ではある。

そういえば、偉大なる蒲島先生政治参加の中で農村部における選挙の「お祭り」性を少しだけ指摘していたような。

それにしても投票率上がらないものかね。よのなか、そんなアナーキーな人ばかりではないはずだが。投票行動を説明するいろんなモデルがあったが、
「影響を与える可能性P×政策実施により得られる利益B+投票義務感D-投票コストC<=0」
だと棄権するというモデルが
あったと思うが、Cが上がっているというよりはPが下がっているのではないだろうか。つまり、「せっかくの休日に、何のためになるかも分からぬ投票しに行くよりは酒でもかっくらって寝ていよう」ということになる。Dを上げるために投票を法令かなんかで義務化するよりは、Pを上げるために、区域を小さくしていく方が、より個々の人の幸せにつながるのではないないのかなぁと、最近はそんな風に考えている。

13 Jun 2005

誕生日

各種メディアを駆使してお祝いメッセージをくれた方々には、とても感謝
してます。この場を借りて、ありがとうと感謝の気持ちを表現したい。

「観念的な痛みが理解できても、身体での実感が伴わない、そんな年頃だと
 思うが、どうバランスを取っていくのか期待している」
というメッセージを伯父からもらったが、まさに最近は(あえて)そうして
いる面もあったと思う。

これまでは「行動してから考える」ことが多かったので、あえて「行動せずただ考えてみる」数ヶ月を送ってきた。自分の中の観念的なものを固めてみようと思っていたが、いかんせんふわふわ浮いてきている気がしている。

てなわけで、また少しずつ、自分なりの課題を見つけて実際に動いてみる生活に戻していこうかと思う。精神から成る世界を広げるのも重要だけれど、身体から成る世界を広げることも、身体が欲している。「百聞は一見に如かず」の精神で。

10 Jun 2005

キャリア・デザイン

キャリア・「アップ」という言葉が嫌いだ。

特に、転職サービス会社とかの広告で、
"営業職からコンサルタントへ転職、キャリア・アップで年収50万円増"
とか見ると嫌な気持ちになる。

そうじゃなくて、キャリアって、背負って生きるしかないもんだろう。「あっちに行けばよいキャリアが得られる」じゃなくて「あっちに行ってこれまで積み上げてきたキャリアで新しいキャリアを作れるか」を考えるべきなんじゃないかなぁと思う。そんなすぐに人間は変われないし。

それも、自分でコントロールできるのは「方向」くらいで、後は運命の流れに身を任せるしかないのかなと。「縁」と言ってもいいと思う。それは、どちらかと言うとアーティスティックな「デザイン」の世界だろう。

だから、最終的には「キャリア・コンサルタント」とかのアドバイスではなく自分で腹をくくって「デザイン」しないと、意味がないのだと思う。

かくいう自分も、最初に働く場所は「勘」で決めました。まあ他にも大学とか恋人とか、大抵「勘」で決めてきた(んで、結構失敗してきた)。自分から成る人生の、デザインは自分で背負いましょう。

どうしても背負えない人は一緒に背負ってくれる誰かを見つけるか、努力して背負えるようになるか、思い切って背負うという行為を放棄して他のフィールドに逃げ出すのもありだと思う。一目散に逃げ出すことも、勇気。

6 Jun 2005

わりきれない世界

自分は、「わりきること」が得意だと思う。
でも、「わりきること」自体は好きじゃない。

例えば、あれとあれは同値(equivalent)だと納得したり、あれはこれを2つとそれを3つ足して5で割ったものだとして比較したり、そうやって身の回りの世の中を「理解」してしまうことが多い。

カテゴライズするとも、概念化するとも、結局・・・だと言うことと言ってもいいけど、そうやって言葉を整理してしまうことは、そこそこできたりする。でも、そんな「理解」は屁でもない、とも思ったりする。

例えば、ナイロビの「空」と多摩市の「空」は違う。どう違うとか、どっちがよいとかじゃなくて、違う、それだけでよいと思う。僕が得た経験は、素敵なそして残念なことに、僕だけのものだ。多分、言葉では伝わらない。

言葉は結局、事象Aを"A"と表し、「"A"は"B"だよね。」と言うことで事象Aと事象Bの等価性を伝えようとする。でも、Aと"A"が人によってずれていて、Bと"B"が人によってずれていて、「うん、そうだよね」といってくれた人には、その人の世界にあるA'=B'としてしか伝わらない。

だからといって、人は分かり合えないと「わりきる」ことは嫌いだ。言葉で分かり合えないなら、「わりきれない」ままの景色を、体験を、世界を一緒に眺めればよい。そして、何も言わなければよい。そんな、「わりきれない」世界の方が好きだったりする。

31 May 2005

JRと所得分配

ガイアの夜明けを見た。
今週は「安全神話の崩壊~効率主義の先に見えたもの~」で、あんまりテーマとしてまとまってなかったけど、まあそれなりに楽しめた。

安全性と効率。安全性にはコストがかかり、効率が効果÷コストである以上コスト↑ならば効率↓となり、トレード・オフが生じる。でも、その難しいトレード・オフに優先順位を付けて、ぎりぎりの線で両立していくのが経営。

一日にダイヤが五本、車両は一両、乗客数は500人だけど、広島と山陰を結び、そこに住む人にとっては大切な三江線がある。圧倒的な赤字路線。経済的には他に競合するサービスの提供者がいない以上、ブレイクイーブンまで単価を上げることもできるけど、そうはしない。他のJR西日本の「ドル箱」路線で何とか採算を合わせている(しかも経常利益はずーっと黒字、大阪近郊の路線と新幹線のお陰だろう)。

これって、いわゆる「民」のやっていることだけど、一種の所得配分だよな。新幹線とか都心部の人に多めに課金して、剰余分で地方の赤字路線を維持していく。今までそう思わなかったけど、新幹線がやたら高い気がしたのは、このせいかもしれない。

一方で、飛行機や他の交通機関と競合している地域もあるのだから、会社のイメージを損なわないためにやっているのかもしれない。最初から運営していない路線だったら誰も文句は言わないだろうが、一度得た利益が失われるときに大きな不満足が生じるだろうから。

また、民営化の仕方が大きく異なる道路公団は、「所得配分」のための原資を稼ぐだけのインセンティブを、まとめた組織形態でどうやって作っていくのか。もしくは、地方を「捨てる」ことができるのか。むじぃ。スタンスを決めかねる。

30 May 2005

マッキンゼー事業再生/冨山和彦インタビュー


結構久しぶりにミクロな観点からの「経営」の本を読んだ。「新・日本の経営」は、あくまでマクロな経営観のお話であり、アイセック引退以来意図的に避けていたミクロな経営のお話をふと読みたくなったので、経済学部図書館で1冊借りて読むことにした。

ターンアラウンドに取り組んだ経営者へのインタビュー記事が非常に面白く、特に韓国の国民銀行再生(Ch.3)とCRMを活用したカジノ再建(Ch.4)が印象に残った。後者は、偶然ビジネス英会話6月号(英語で学ぶMBA実践講義)でも触れられていた。

その中でも一番印象に残ったのは、産業再生機構COO冨山和彦さんへのインタビューで、特に
「経営者は本来、ヒト、モノ、カネ、この三つをすべて把握して・・・
それらを超短期、短期、中期、長期くらいの四タームで見る。つまり、
三×四=十二の局面を把握していかないといけない」
という言葉が印象に残った。某ジョブで、自分はスナップショットで静止画を描写することはそれなりにできても、時間軸を動かす想像力が欠けているなぁと痛感したことを思い出す。まあ、五日間でお金もらって自分の課題に気づかせてくれてありがとうとも言えるけれど。

他にも自分には「まだ」できねーと思っている部分を抜粋。
「(ターンアラウンドの)戦時は独裁です。権力を集中させた人間が間違う
リスクもあるがそれよりも合議制のリスクの方がはるかに大きい」
「ロジカルに論破しながらも、エモーショナルにはできるだけ禍根を残さ
ないようにして、ゴールに到達しなければいけない」
最後に、最近の自堕落な生活に反省して。
「人間は怠惰な生き物だから、何らかのディシプリンが効いていないと易き
に流れてしまう」
アウトプットでの競争に晒される機会をもっと持たないと、もったいないもったいない。

23 May 2005

政党政治の再生(著:北岡 伸一)

ふと図書館で手に取った政党政治の再生―戦後政治の形成と崩壊を読破した。改めて授業を受けられればよかったのに、と残念に思う。

政治家について「政治は結果責任であるから、無能でクリーンよりダーティでも有力な人物のほうがましである」と言っていることは非常に共感できる。

政治は、実現のための手法である。ディスカッションとサジェスチョンだけでは、変わらないことにより利益を得る人間しか幸せにしない。リーダーは、目標を掲げ、支持を集め、支持に応えるために、どこかで実現のための「決断」をし、実現のために戦い「結果」で語らないと意味はないだろう。

ただし、それを少数の人間に期待するのは限界があるから、「政治家の利己心を利用し、彼らを競争させ、勝ち残った者に国政を託する」必要があり、その前提として国民は「政治化がいかにフェアな競争をするかを監視することでなければならない」と説いているのは面白かった。

ある観点からは政党も「民」であり、「官」から脱却した「民」の競争によって「公」の利益を担保することを期待してみたい。そのために結局は、前提となる部分のルールを定め、監視のクオリティを高めるしかない。そこに絶望してエリート民主主義を信ずるより、できる限り参加型民主主義を信じてみようと思う。

30 Apr 2005

一期は夢よ ただ狂へ

何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ
何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり
ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や
夢幻や 南無三宝
くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
閑吟集