30 Dec 2006

9ヶ月を振り返り

新社会人として3週間弱を過ごして、今後心がけていきたいことは、

 ・「それにもかかわらず!」と言えるAspirationを形成すること
 ・そのために、自分を信じること
 ・でも、特に他人に対して謙虚であること
 ・その中で、「大人」になること

といったような、ある意味当たり前なことだと今は思っています。


ということを今年4月のエントリーに書いていました。Aspirationについては
当時と比べると少しカタチになってきた気がしますし、今年色々とやる中で、
描けていける気がしています。

一方で、自分を信じ、他人に謙虚であり、ヒトとして真っ当な判断をする人間
であり、さらに、自分なりの世界観の広がりを持つ。こちらの方が難しい。

ただ焦らず、来年も一歩ずつ足場を固めていこうと思います。
このブログを訪れていただいた皆さま、よいお年を。

17 Dec 2006

金融系の本

金融系の本をまとめて備忘録的に。


MBAバリュエーション:IBジョブの参加前に一応読んだ本です。極めて基礎的であり、
基本的な用語に対する解説もあり分り易く、入門書としてお薦めです。


企業価値評価 第4版:いわゆるバリュエーションと言えばこれかと。改訂がなされて
大部詳しくなったようです。ただ、英語で仕事をする場合は、これよりも原書の購入
をお薦めします。


債券取引の知識:債券価額の計算方法とクーポンとかデュレーションとかスワップ
金利とか、基礎的な金融・経済学的な知識を押さえることができる本です。新書の
薄さに金利に関する考え方が凝縮されており、費用対効果がよいと思います。

スプレッド・バンキング:信用リスクと流動性リスクを分けて、金融機関内部で収益
計上するための考え方を説明した本です。技術書と言うよりは金融機関の経営、
KPIの設定という観点で読んで非常にためになりました。

25 Sept 2006

手紙


ケニアからの手紙
手紙が届きました。どうやら僕は一人ではないようです。


15 Aug 2006

敗戦記念日に一言

そもそも、解くべきイシューは
「過去に国家のために亡くなられた方々への敬意及び不戦の誓いを、
 日本国首相が、対外諸国と国民の大きな反対なく示すことはできるか」
なのではないでしょうか。個人的には、示すべきと考えています。

それなのに、「靖国に行くべき / 行くべきでない」という問いを立てて
議論を始めるから、どうしてもmisleadingになるのではないでしょうか。

感情的な「言いっ放し」の繰り返しではなく、建設的な「対話」を。

17 Jul 2006

伝えることと孤独

人は、自己を伝えきれるのか。結局は孤独に生まれ、孤絶へと向かうのか。
以前、このブログで町田康「告白」への感想を書き記した際に書いた一行。

でも、もしヒトが、自分の考えていることを結局は誰にも「伝える」ことができないとしても、その同じ深さで孤独を感じている誰かが側にいたら、それは「孤独」だけでない何かを感じることができるんじゃないか。分かり合えている幻想とも、ただ一人という孤絶とも違う、名前のない感情を。

そんなことを考えていた、雨の三連休。

1 Jul 2006

舞台|阪神淡路大震災全記録



先週に見た舞台の、脚本及び制作記録です。蕎麦屋で読んでいて、先週の舞台を
思い出してまた涙腺が緩みました。

「この芝居の本質は、俳優が被災すること。その一言に尽きる。俳優が被災すれば
空間が被災地と化す。観客も被災を追体験できる。観客は、知識としてではなく
「感覚」として被災というものを実感し・・・(略)」

まさに、意図通りにやられました。

一週間経って振り返ると舞台はあくまで「表現」であり、「報道」ではないのかも
しれません。本の中でも『「報道」ではなく「作品」が必要だと・・・』との記述
があります。
ただ、「報道」が、フレーミングするにせよ事実を事実のまま伝えることならば、
伝えてもらった感情は、限りなく実際に近づけて被災した方々の感情を掴もうと
努力した俳優の人達にとっては(神戸出身でない人にとっても)事実であり、この
舞台を「報道」と言うこともできるのではないでしょうか。
こう言っていたら、「表現」と「報道」を完全に分けて考えることが無意味であり、
事実に無機質な情報ばかりではなく人の感情までを含むのならば、そこには間違い
なく交差領域があるのでしょう。それは、素敵な作品であると同時に、素敵な報道
であるのではないでしょうか。
事実や嘘の情報の洪水の中に身を置きながらも、エモーショナルな部分を少しでも
想像できる人間でありたい。そして、伝えられる人間になりたい。そう思います。
追記)
ヒトに対して懐疑的でありながらも、それにもかかわらず、ヒトを信じる。
そういう矛盾した感情を、忘れないでいたい。

18 Jun 2006

言語平和学

言語学と平和学を結びつけた学問を立ち上げようとしている友人と数年振りに会いました。平和学とは、極論で言うと暴力学(あるいは暴力排除学)らしいのですが、そこに言語学を組み合わせようとする視点は非常にinnovativeだと感じました。

言葉による暴力、排除、差別に対し、どうアドレスしていくのか。言語とは何らかのニーズがあって生まれ淘汰されていくわけで、かちっと「正しさ」を当てはめることは難しいとは思いますが、西洋哲学的な表現ツールとしての言語観から離れた、言語的観点からの「正義論」があってもよいと思います。ロールズ風に言うならば、論理的に正しい言語ではなく、公共的に正しい言語と
でも言うのでしょうか。そんなイノベーションを楽しみにしています。

12 Jun 2006

Route 292

国道292号線は、日本で一番標高の高いところを走る国道らしいです。
そんな目線の高さを、今後も目指して走っていきたいと思います。

誕生日にメッセージをくださった様々な方、改めて、ありがとうございました。

11 Jun 2006

分けること/福祉を変える経営(著:小倉昌男)

スペシャルオリンピックス・東京地区大会にボランティアとして参加しました。
きっかけは、入社前に映画を見よう月間にしていた3月に見た、ビリーブ、という映画。

きっかけのきっかけは、去年亡くなられた小倉昌男氏の「福祉を変える経営」。


正直に言うと、博愛的な発想とか、キリスト教的なチャリティ精神とか、必要以上に美化する傾向とか(最近はそうでもないが)、障害者を取り巻く現状の「視線」に対して何となくキモチワルイ感覚になることはあります。

でも、先天的あるいは後天的な理由で、何らかのことが「できない」ヒトをだからといって排除するのはおかしいと思うのです。ableとdisableを分けるものは何なのか。何をもって「健常」と言い、何をもって「障害」と言うのか。分けることに意味があるから(例えば障害年金交付からフリーライダーを排除するとか)分けているのですが、その「分けること」自体が、分かれていることを所与としたヒトを再生産してしまっている。

でも、多分社会を構成して運営していく上で、分けざるを得ないことはある。そうすると、僕らが学ばなければいけないことは、「分け方」ではなくて、分けることの根拠である「違うこと」に対する姿勢なんじゃないでしょうか。

いい加減、違いを見つけて切り分ける行為を、やめにしませんか。

27 May 2006

ナスカの地上絵

ナスカ展に行ってきました。

ヴァーチャル地上絵が目当てでしたが、それよりも面白かったのはナスカの人々の「絵心」でした。特に目が、コミカルで面白い。その中でも一番印象に残ったのは、彼らが他の部族との交易で「サル」を手に入れていたと書かれていたキャプションでした。誤訳でなければ極めて面白いですね。家畜としては極めて扱いにくそうなサルを手に入れて何に使っていたのでしょうか。

肝心の地上絵は、線がちょうど人一人歩けるくらいの道くらいのようで、それほど大きくないんだなぁというのが感想でした。でも、やはり行ってみたい。ナスカの地上絵は「世界八番目の謎」らしいですが・・・七番目まではこちら。よく「なぜ地上絵は描かれたのか」との問いがありますが、文字がない文化に暮らしていた人間の行動の動機を推測するには
 ・骨、ミイラetc
 ・遺物、遺跡
 ・同時代の他の文字文化の慣習・伝説
 ・後の時代の文字文化の慣習・伝説
 ・現代まで継承される慣習・伝説
あたりから推測を繰り返していくしかないのでしょうが、そこから出される推測は「確からしい仮説」であって、「正しい」かどうかは分からないのでしょう。ただ、「正しい」かどうかよりも、そのような「古代の人間の考え」に思いを馳せること自体が「現在を生きる人間」にとって素敵なことな気がします。願わくば、ヒトに、想像力を。

23 Apr 2006

千葉7区補選

失態続きの民主党がようやく一矢を報いたようですね。

二大政党が国民の意向を汲もうと競り合って、例えば最近の共和党・民主党(米)
の外交・安全保障政策に顕著なように、収斂していくのはやむを得ないのかもしれ
ないですが、全く同じではこれまた選択肢がある意味がないので、現状で圧倒的
に野党である民主党(日)が、改革路線という日本の基本的な方向性は変えない
にせよ、自民党との差をどのように作りマーケティングしていくのかに着目しています。

とりあえず内政では社会民主主義的路線を行くとして、年金・医療・社会保障で
攻めるのなら、それなりに明確で実現可能性のある対案を出してもらいたいもの
です。ただ、その「社会民主主義」という軸で切り分けると、自民・民主ともに二つ
に分かれてしまいそうな感覚もありますが。あと差を出せるとすれば、外交路線
になるんですかね。

なんにせよ、「二大政党制確立のための政権交代」ではなく「国民生活・国際社会
に貢献する政権交代」を目指してもらいたいものです。

18 Apr 2006

新社会人としての心がけ

卒業確定以来久しぶりの更新。別に激しく働いているわけではなく、
むしろ、自分に足りない部分を日々見つけています。

新社会人として3週間弱を過ごして、今後心がけていきたいことは、

 ・「それにもかかわらず!」と言えるAspirationを形成すること
 ・そのために、自分を信じること
 ・でも、特に他人に対して謙虚であること
 ・その中で、「大人」になること

といったような、ある意味当たり前なことだと今は思っています。

3月から4月にかけて、いろいろ考え(ポーランド旅行etc)、観て(エミリー・ローズetc)、読んだ(春子情歌etc)とをまとめてはおきたいですが、追々更新できればしていきます。とりあえずブログは、趣味を中心に思考を整理する場として、しばらく維持しておきます。

9 Mar 2006

速報

卒業確定ヽ(゜▽、゜)ノ

7 Mar 2006

心理会計モデル(ハーバード・ビジネス・レビュー2006年2月号)

HBR2月号に興味深いモデルが掲載されていた。行動心理学の分野になるのだろうが心理会計mental accountingというそのモデルは、興味深い仮定を置くことで、「過去に囚われる合理性」を説明しようとしている。読み進めると、確かに過去に囚われてしまうのももっともだと思わせてくれる。



まず以下のような前提を置く。

  • 人間は限定合理的であり、心理的な価値(満足)を最大化するよう行動する
  • 人間には「参照点reference point」がある
  • 結果x(利益or損失)は参照点を基準として相対的に認識される
    • 参照点=x=0=結果に対して満足も不満も抱かない点

利益・損失といった結果ではなく、結果から得られる心理的価値を追い求める、しかもその利益・損失も相対的に定まるという人間像は、結構当てはまりがよいモデルではないだろうか。
そして、価値関数v(x)という変換を用いて、人間の行動を説明しようとする。

  • 認識された利益(損失)は心の中の価値関数v(x)を通して評価される
  • 価値関数v(x)は、x>0において増加率は逓減する(効用関数と同様)
  • x<0においては、増加率が逓増する
    • すなわち、x<0で逓増し、x>0で逓減するような単純増加関数v(x)
  • それ故、利益局面ではリスク回避的に、損失局面ではリスク愛好的になる
  • 同じ水準の結果が出た場合、利益による満足より損失による不満足が大きい
    • すなわち、x=b>0のときv(b)<|v(-b)|
※最後2つの説明については、掲載記事に不足していると思われる説明を補った

これは、1/2の確率で100万円が得られるゲームに参加するか、50万円を黙って受け取るかという選択だと受け取る方を選ぶ回答をする人が多い傾向にある一方で、1/2の確率で100万円を失うゲームに参加するか、黙って50万円を支払うかという選択だと参加する方を選ぶ回答をする人が多いという傾向に当てはまる気がする。

たしかプロスペクト理論という名前で、似た説明が以下の本やCDIのニューズレター(PDF)でもなされていた。

これらの道具を組み合わせて、
 ・分離勘定:過去から独立して現在を判断 v(x1)+v(x2)
 ・統合勘定:過去に囚われて現在を判断 v(x1+x2)
のどちらを取ることが心理会計的に合理的(その人間にとってより心理的な満足が大きいか)かを説明している。麻雀で例えるならば、前の半荘の結果に引きずられ打ってしまうのが統合勘定であり、前の半荘の結果に関わらずその局において最適な手を打てるのが分離勘定である。

基本的には、分離勘定の方がより合理的(状況に応じた手を打てるという意味)で望ましいだろう。そして、過去の結果と現在の結果の見込みの状況を
 大勝(利益大)・辛勝(利益小)・惜敗(損失小)・大敗(損失大)
に分けて4×4のマトリックスで説明すると、
 1)過去に大勝した場合
   大小問わず今回も勝ちそうなら分離勘定/負けそうなら統合勘定
 2)過去に辛勝した場合
   今回も勝ちそう・大敗しそうなら分離勘定/惜敗しそうなら統合勘定
 3)過去に惜敗した場合
   どのような見込みでも統合勘定
 4)過去に大敗した場合
   今回も負けそう・大勝しそうなら統合勘定/辛勝しそうなら分離勘定
がそれぞれ心理的な価値(満足)を高めることになるため(グラフを書いて1つずつ当てはめていけばよいので省略)限定合理的な人間にとって、過去に囚われないことがいかに困難なことか分かる。

単純に考えても、4×4の16通りのうち10通りは統合勘定となって過去に囚われてしまうのが満足を高めるのだから。このモデルによると、過去に失敗(損失)を経験した人間は囚われる可能性が高い(過去:大敗、現在:辛勝のとき以外すべて統合勘定)ことを示唆しており、それ
を回避するためには失敗から成功ポイントを探し出して少しでも参照点に近づけ、「辛勝」と捉えられるようにするか、思い切って過去の失敗を徹底的に反省して「大敗」として捉えることが必要になるが、後者だと囚われ続ける可能性が高いため、失敗からも成功ポイントを探し出すことが、次の失敗を避けやすい。

基本的に、意思決定者に最も求められるのは「辛勝」の経験だろう。予想外の大勝をした場合も問題点を洗い出す作業を徹底することで参照点に対して結果を下げ、大勝を「辛勝」として認識する必要がある。そうすることで、過去に囚われない意思決定を行える可能性は高くなる。

面白いのは、惜敗のときよりも大敗を経験しているときに、過去を切り離す可能性が生まれることであり、これは自分の経験からも納得いく気がする。負けるときは潔く負けきった方がよいということか。また、勝ち続けることで過去を切り離してその時々に合理的な判断が可能になるのは、「勝ち癖」「成功体験」を上手く積み上げていくことの重要性を示唆しているだろう。

何にせよ、「辛勝癖」を持ちつつ、失敗は前向きに、成功は謙虚に受け止めることができる人間が、過去に囚われる可能性が低く長期的に見て合理的に判断できるということになる。色々ごちゃごちゃと分析したのに、出てくる結果が一般的に納得のいきそうなリーダー像に近づいているのは面白いことだ。

このモデルは、過去と現在という単純な分け方だが、実際には過去は無数の結果を含んでいるため限界は有している。だが、どのようにしたら合理的な意思決定者を育成することができるのかといった問いに対して一つの解を示唆している貴重なモデルではないだろうか。とりわけ、デモクラシーにおける市民の育成という問題についても、このモデルは展開可能な気がする。

最後に少し政治にからめると、橋爪大三郎が書いていた「民主主義にとっては51対49という結果は、死票が多いというネガティブな意味合いではなく、選出された代表者に緊張感をもたせ努力させるから望ましい」というような意味のことが、このモデルからも説明できるのではないだろうか。

6 Mar 2006

映画感想:ザ・コーポレーション

「企業」ではなくて、「法人」ですよね。「合法的に人格を認められたassociation」と言い換えてもいいかもしれません。その一点をあやふやに捉えてしまうと、ただの大企業批判になってしまう映画かな、と。

合理的に、それ故サイコパス的と表現され、利益を追求する法人。でも、それを形成する人間は、不合理に判断する可能性が高いことを考えると、不思議な気もします。全ての組織が合理的に判断できるかという気も一切せず、「測定可能な目標=成果物を共有可能かどうか」といった点が重要なポイントであるような気が直感的にはします。

何はともあれ、トラックバックが2ヶ月後になって申し訳ない限りです。

27 Feb 2006

「戦争・紛争」強化月間

ということで二冊新書を買ってみた。





「戦争民営化」の方は要旨がよく分からないと言うか、著者のスタンスが分からず。古今東西の「傭兵」の歴史の羅列という感じで、ポップな題名に騙された感あり。これから「戦場の現在」に手をつける予定。こちらはアマゾンで書評が結構良かったので、ちょっと期待。

16 Feb 2006

再び、ジョン・ロールズ/ロールズ―正義の原理(著:川本隆史)

どんな人物像だったかも知りたいのでロールズ―正義の原理も購入しました。


「現代政治学の名著」のロールズ「正義論」の部分を読み、「政治学」を読むもよく理解することができないまま、川出先生の現代政治理論で触れ興味をかき立てられ、「公共哲学」を読んで数式を交えることで理解が進んだ気がして、「二〇世紀の政治理論」にわかりやすくまとまっていたので一歩前進し、今は「公正としての正義 再説」に挑戦中。これが終わったら英語勉強を兼ねて"A Theory of Justice"にも取り掛かります・・・こうして書いてみるとだいぶはまっていますね。

知らない人に一言だけ説明しておくと、「どのような社会が公正なのか」という「問い」に対する「答え」を何とか構築しようとしていた人です。

政治学者と言うよりは哲学者という肩書きが付くことが多いらしいし、理論の現実政治への適応に余りポジティブではなかったらしいです(それでもヒロシマ50周年には、原爆投下を批判しようと試みていた)。

人物像まで興味を持つようになったのは、日本政治外交史にて酒井哲哉先生が、人物像から歴史的展開を説き起こしていた点に影響を受けているのでしょうか。歴史は流れているようだけど、人の意思決定の積み重ねであることを、つねづね実感させてくれる授業で、高校の授業とかでこんな日本史聞いていたら面白かっただろうと感じましたが、逆に今だからこそそう感じられるのかもですね。

授業のお陰で、戦前の政治体制、とくに大正デモクラシーのモメンタムについてだいぶ蘊蓄が溜まりました。マニアックでしたが、試験前に慌てて買った酒井先生の現在唯一の著書、大正デモクラシー体制の崩壊―内政と外交は、半分しか読めていないけど、でも素敵な本でした。先生が今後研究を深めていくことを期待しています。とりあえず、マンガ日本史で読んだり、中学校くらいで学んだ明治~昭和初期とは大きく違った歴史展開を感じることができました。

珍しく「ですます調」でした。それでは、実家の部屋の片付けに戻ります。

15 Feb 2006

試験終了、そしてA Theory Of Justice(著:John Rawls)

試験終了。これでおそらく大丈夫かと。試験勉強中を兼ねて「政治学」「公共哲学」「二〇世紀の政治理論」等を読みながら、自由原理とか機会均等原理とか格差原理とか言っていても、やっぱり原著を読まないと駄目だぁ、とつくづく思っていたので、A Theory Of Justice: Original Editionを注文。



歩兵としてあの後のヒロシマを見て、軍隊を抜け、哲学を研究し「正義論」を記す。そんな彼の人生は、第一次大戦への従軍体験が大きなインパクトを与え、「論考」へと至ったウェトゲンシュタインを思い出す。そう思って読むと、また味わい深い。

"The" Theory of Justiceではなく、"A" Theory of Justiceであるところなんかに、ロールズさんの思い入れが表れているようで、また一つ共感する。Justiceという言葉が強いけれども、One and Onlyとしての"The"ではなくOne of themとしての"A"であるのだろうから、きっと、「正義論」以降に様々な議論を呼び、批判を受けたことは、ある意味嬉しかったんじゃないのかなぁとか想像したりする。

ずっと昔にも、自分と同じことを悩んでいた人がいた。その人たちの思索に触れるだけで、楽しい。なんにせよ、大学最後?にして、偶然にせよ面白いと思える、もっと学べると思える悩ませてくれるテーマが見つかったのは喜ばしいことでせう。

4 Feb 2006

15日まで

真面目に試験を受ける予定。と言うわけで9月時のようにムダに更新しない予定。好きで取った科目ばかりなので、しっかりと学んで学舎(まなびや)をいざ出ん。

自分の最近の興味分野は、政治学的には「公共選択」と言うそうな。とりあえずロールズ「正義論」をもっかい復習復習、と。2割引のため、書店にて購入↓
公共選択


23 Jan 2006

マスメディアとスタンス/すぐれた意思決定―判断と選択の心理学(著:印南一路)

全ての情報を報道するのは、不可能である。なにも情報を報道しないのは、報道機関ではない。

よって必然的に、マスメディアは「何を報道するか」を決めなければいけなくなり、それは、「何を報道しないのか」を決めることである。傍観者たり得ないからこそ公正中立という美辞麗句でごまかすことなく、政治主体としての自覚を持ち、信念に基づいたスタンスを取るか、結果的に取っていることを自覚しなければならない。

今日の某政治系授業より(受け手というバイアスあり)。

だからこそ、報道側のスタンスが見えてくる記事・番組を、そのスタンスを踏まえて情報の受け手、取捨する側としては選ぶべきなんだろう。そして、「選ぶ」ためには自分も何かしらのスタンスを取らないと選びようがない。情報の大河にのみこまれ、やがては大海に漂流してしまう。

選んだとしても、その「選択」は様々な心理学的バイアスがかかっている可能性は否定できないし、その「スタンス」自体一つのバイアスと言えるかもしれない。
すぐれた意思決定―判断と選択の心理学
ちっぽけな人間の自分に、複雑で広大な世界の全体像を知ることができるだろうか。
目に映る世界の「像」を「色メガネ」を通して見ていくしかないのではないのか。
だからこそ、「普通」「常識」メガネではなく、自分のメガネにこだわっていたい。
偏って、間違って、またメガネを変えて、それでも偏って、そうやって生きていく。

18 Jan 2006

人間、価値、正義/堕落論(著:坂口安吾)

自分にとって、おそらく「正<善=人間に対する」である。

つまり、「正しさ」を考えるためには、「価値のあること」を考えなければいけなく、
その「価値のあること」を考えるためには、「人間」を考えないといけない。

Before thinking of "rightness", I should start from "goodness".
In order to define "goodness", I should understand "man".

そしてひょっとしたら、「価値のあること」は配分不可能(もしくは配分しても意味をなさない)のかもしれない(いや、多いにあり得る)。そうしたら、「配分の正義」の議論自体がナンセンスになるだろう。そこでは坂口安吾「続堕落論」を思い出す。
生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるに過ぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限また永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々のなしうることは、ただ、少しずつよくなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしかあり得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何者かカラクリにたよって落下をくいとめずにはいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。


というわけで、「なぜあなたは不幸なのか」というまさに直球ど真ん中の分析を、幸福度を目的変数に、様々なデータを従属変数として回帰分析を行った論文(PDF)を見つけたので、データを頂けないかダメ元で問い合わせをしてみた。結果待ち中。

もし生データを頂けたら、色々と「価値のあること」について考えてみたいと思う。とりあえず、論文では全員を同一モデルと仮定して重回帰分析にかけているので、まずはメンタルな質問項目を軸にクラスターを見つけ、何パターンかに分類した上で重回帰分析にかけてみたいと思う。効用関数のパターン化と言ってもいいのかも。

こうやって、モデルと仮定を元にごりごり計算しようとする姿勢自体、「人間」から遠ざかっているのかもしれない。でも、身近な人間を元に大胆な確信と信念を持つに僕は悔しいことに若すぎるし、狭すぎる。だからまず大学で一番触れてきた「統計」というメガネを通して「人間」を見てみたい。

14 Jan 2006

人間と正しさ、あるいは新年の抱負/政治学講義(著:佐々木毅)

人間の効用関数が、単純に逓減する関数(所得増大につれて幸福度への寄与が低下)ではなく、ある定点までは単純減少でも、その後単純増加をするような関数だったら(例えば、Y:効用/X:所得として、Y+b=(X-a)^3は、X<a(>0)まで単純減少し、その後単純増加する)累進課税的な所得分配政策では、必ずしも効用の総和の最大化に寄与しないなぁとか考えていた。

実際は、何回も限りなくフラットになる値域があったりなかったり、X→∞で一定の値に収束するかしないかとか、人の嗜好パターンによって大きく異なってしまうんだろうが単純化して考えると・・・

上の式だと、X>aになればなるほど限界効用(所得1単位あたりの効用変化)が大きくなり、超高所得(X>2a)の人から低所得(X<a)への人への所得移転は効用の総和を押し下げる。なんか、超金持ち以外の人の間でのみ平してしまうのが「正しい」政策になる関数だな・・・関数が不適切なんだろうが、功利主義的な「効用の総和」(個人の幸福よりも、社会の幸福の拡大を優先する、所謂ところの「最大多数の最大幸福」)という軸も不適切なのかもしれない。

とここまで道なりに考えてみて、このようなアプローチからは「どのような関数や正しさの軸を取るべきか」という問いに対する解を持ち得ない。そこに至るには、
 1.マーケティング調査・分析手法を駆使し、ファクトベースで設定
 2.(政治)思想的アプローチから、最終的には価値観ベースで選択
という大きく分けてふた通りのやり方があるのかと思う。

関数・モデルを作るためには、ベイズ統計とか確率統計的に前者のアプローチを取ることが妥当な気がするけれど、でもそこでも、最終的には「人間とはなにか」という人間観を問われる気がするし、正しさの軸を選ぶためには、ファクトベースではなく(勿論ケースを利用して浮き彫りにしていくしかないだろうが)「正しさとはなにか」という問いに答えられないと(すくなくとも政策立案者は)いけないのかなぁと。

んで、去年及び今年の残り3ヶ月は、少なくとも僕の関心の軸は、そこにあったのだと気付いた。それこそ、町田康から国家論までおおよそ言及することの多くが。まだ残り期間、出来る限り思考を止めずに、この問題に、正面からぶつかってみたい。

観念的な意味ではなく、具体的な意味での「正義」は一義的に決まり得ないのではないか。でも、それは果たしてまだ「正義」なのか。あるいは、これは捨て去るべき概念なのか。ロールズ「正義論」に刺激を受けたので、次はその当たりを考えよう。

そういえば佐々木毅先生の「政治学講義」が、第1部「原論」の第1章を「人間」から始めていた。蛇足だが本著は、政治学を「合理的なるものreasonableness」への関心と捉える一方で、
政治は誰でも分かるように、人間にとって目に見える、一定の具体的状況の下での、他者を前提にした行為であり、およそ、観念的な意味での合理性rationalityとは両立しない性格を備えている。
と看破して、その「限界」を超えようとする試みを紹介している名著。

6 Jan 2006

部屋の片づけ

徐々にモノが減っていく部屋。近づく新しい生活。

大学に入って以来月10冊くらいのペースで本(古本含む、マンガ除く)を買っていた
ことが判明。割合は、文庫:ハードカバー:新書=5:4:3くらいかな。読書率は3/4。
半分くらいは新居に持っていくことになりそう。

にも関わらず今日も新しいのを5冊購入。英語の勉強向け2冊と、軽いエッセイ2冊。
注目はこれ。佐々木毅先生がコメントを書いているので思わず衝動買い。



後はのんびり正月VHS/DVDの感想をつらつらと。
劇団夢の遊眠社「贋作・桜の森の満開の下」
桜の森の満開の下というか、夜長姫と耳男+火の鳥(太陽編(表)+鳳凰編)のような
テイスト。でもやっぱり最後は満開の下。言葉が呪術的な言霊として響いてくる。
ビデオで声が聞きにくいところがあるのが残念。いやーまいったまいった。
素晴らしき哉、人生
「スミス都へ行く」に次ぐ、フランク・キャプラ監督とジェームス・スチュワートの
コンビ作品。落とされる絶望感と、その後の暖かさは「スミス」よりこちらが好き。
If you were not born, how would the people around you live?
アリ
あまりにも有名な「蝶のように舞い、蜂のように刺す」をウィル・スミスが熱演。
マルコムXとの邂逅。カシアス・クレイからの改名。その裏で、カシアス内藤として
「敗れざる者」として闘った男の物語を思い出す。また沢木耕太郎読もうっと。
スーパーサイズ・ミー
マックを食べたくなくなった。ウエストだけでなくあっちにまで悪影響なんて。。。
ダイエット効果十分。ただし、食事中のご鑑賞はご注意下さい。
いま、会いにゆきます
竹内結子がかわいい。生まれ変わったらこんな恋愛もいいかも。でもやっぱ無理か。