民主主義は非効率だ。
別にアローの定理を指して言っているわけではなく、(これはこれできちんと理解しておくべきだが)実感的にそう感じている。別に民主主義を避難しているわけじゃなく、それ(効率という価値観を最重要視していない)を前提にして、意思決定過程を考えなきゃいけないはずだろう。
民主主義には、もしくは国家には明確な目的が定められているわけではない。どちらかというと、目的を共有している人間の集まりではない。様々な思惑と意図を持つ人間によって構成されている(されざるをえない)。
なぜなら、組織と違い国家はほぼ所与なものである。個人の選好により選ぶケースは少ない。そこに「共通目的」みたいなものがセットされないのも、当然と言えば当然かもしれない。これは国家成立直後は当てはまらないが、国家が成熟すればするほど当てはまるだろう。
だから、非効率になっていって当然なんだろう。でも、排除を繰り返し同質になることで効率性を高めようとするのではなく、多様な価値観の人間を無理にでも内包し、妥協と罵倒を繰り返しながら、寛容の精神で共生していく。それでよいのだと思う。
だから自分は、効率的なエリート型民主主義をうさんくさく感じ、非効率な参加型民主主義を気に入っている。なにより、自分も、参加によって考え行動する機会を与えられた人間だから。
余談だが、組織(目的を共有しコミュニケーションを取りながら目的達成のために行動する人間の集合体)の運営に民主主義は適切ではない。なぜなら組織には目的(価値観)がセットされているからであり、感覚的にそこからほとんどの意思決定の判断は論理的に考えれば導出、選択できる。そこに、合議の必要性は存在しない(ただし、合議する(あるいは、合議するふり
をすることにより目的を共有する・コミュニケーションを取る等組織をより動かし易くすることができるという効果は十二分に考慮すべきだろう)。
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