31 Oct 2007

なぜ「貯蓄から投資へ」

日本を出る際に、円資産を銀行口座に放置するのももったいないので、約4割を海外株式ベースの投資信託に換えてきましたが、1ヶ月で平均4%程度の基準価額の伸びを示しておりまずは順調でほっとしています(人生初のリスク資産購入)。

そこで、日本の個人金融資産に占める投資信託の割合が気になったので日本銀行の資金循環統計を見てみました。さあ、どれくらいの割合でしょう?
(ちなみに、2006年度末で総資産は1533兆円です。)

(1)1.5% (2)4.5% (3)8.2% (4)10.8%

正解は、(2) 4.5%(68.4兆円)でした。2000年度の2.4%(33.9兆円)からは年平均で12%超の成長を示し、6年で倍になっています。実は、2004年度段階でも37.9兆円までしか達していなかったのでここ数年で急成長したわけですね。トレンドは「貯蓄から投資へ」向かっているかというと、上記の投信とか国債とか2000年:10.1億円(全体の0.7%)→2006年:33.3億円(全体の2.2%))は確かにそうですが、現預金が占める割合は50%前後で推移しており変化が小さいですね。

個人金融資産に占める現預金の割合(出典:日本銀行 資金循環統計)

短期コールレートが1%を切り5年定期ですら金利1%を切り始めた1995年から10年以上たつのに、本格的な預金の流出すら起こっておらず、定期預金が流動性預金に移動したくらいなのは、日本人がエコノミクスを気にしない非合理な人たちだからではなく、日本における金融商品のサプライサイド・ディマンドサイドの双方についてボトルネックがある気がしてなりません。

労働力が減る国において、せめてお金に働いてもらわないといけないのに、それを銀行に丸投げというのではあまりにもったいない(銀行に勤めている友人の方々ごめんなさい、でもこれはどうしても言いたかった)。

お金至上主義とかそんな極端な主張をしているわけではなく、先日パリでストライキに出くわして大変だったときに、働くことを含めた生活することは社会の一部を構成しており、その一部が止まるだけで社会は簡単に回らなくなってしまうんだなぁと感じたことが結構起因したりしています。「金は天下の回り物」ではないですが、マネーフローに対して責任を持つのは、社会の構成員としての義務ではないでしょうか。

余談ですが、税金の行方に対しても感心が薄い(住民税で所得の1割近くを払っているのに投票率が30%とかの地方議会選挙ってどーゆーこと)のとかは、税金を現金納入すると同時に投票とかにすれば結構真剣味が増すのではないかと。札束で100万円くらいを持って投票しに行ったらもっと税金の使い道の透明性やバリューフォーマネーに対して敏感になるのではないでしょうか。

最後に、先日読んだ日経ビジネスのさわがみ投信代表のコメントを引用します。
『現預金はある意味『丸投げ』『無責任』なんですよ。自分の意思は何もない。』
『投資というのは、自分の夢や価値観に合わせて、自分のお金を投入するということ・・・(中略)・・・自分がどういう社会に住みたいのか、あるいは子供や孫たちにどんな社会を残してあげたいのか、そんな意思や判断や夢を投影させていくことになるんです。』
投資に対する思想がもっと語られるようになれば、少しは変わる気がします。

14 Oct 2007

Munich / ミュンヘン+ノイシュヴァンシュタイン城

ノイシュヴァンシュタイン城

高校時代の友人の推薦もあり、同僚とミュンヘンに行ってきました。写真は、観光地として有名なノイシュヴァンシュタイン城(ミュンヘンから3時間)を近くの超高い推定地上50メートル前後のつり橋から撮影したものです。手が震えてカメラを落としそうでした。

ミュンヘンで美術館を巡りながら一番気に入ったのはノイエ・ピナコテーク(新絵画館)で出遭ったFernand Khnopffという作家の

I lock my door upon myself (1891)
でした。写真もタイトルもちょっと暗い感じですが、実際にはもっと暖かみと深みのある色で、閉じた世界が閉じているがために持つようなぬくもりを感じました。

対照的にもうひとつ気に入ったのはPaul Gauguinの
Paul Gauguin. Te Tamari No Atua (Nativity).
Te tamari no atua (1896)

で、こちらはむしろタイトルの英訳がBirth of the Son of Godであるように、生が開いていく「世界」というものと、伴う消耗を感じました。

土曜日に城めぐり、日曜日は美術館めぐりでしたが、いかんせん市内にも近場にも行きたいところが多く、ここに拠点を構えている友人にも会いそびれたので、また来なければな、という感じです。

7 Oct 2007

Wiesbaden / ヴィースバーデン ビバ温泉

Wiesbaden

日本にいたときは月に1回くらいは広い風呂に入りたくなり、麻布十番銭湯、麻布十番温泉、江戸湯@両国、大江戸温泉物語(台場)、豊島園「庭の湯」etcにいろいろ行っていたので、1ヶ月バスタブなしの生活が続いていてお風呂にのんびり浸かりたくなり、カイザー・フリードリヒ温泉に行ってきました。(ちなみに上述の中では、2千円超と値段が少しかかりますが、本を2冊くらい
 持って1日のんびりするのに豊島園のスパはおすすめです)

ここまでを、人は言い訳と言います。笑

詳細な説明はこちらのサイトに書かれていますが、キーポイントはやはり「混浴」というところでしょう。結構びっくりしたことに同年代くらいの女性も数名いましたが、いかんせん堂々と真っ裸だししまいにゃカップルでいちゃついたりしているので、こちらもあまり気にせず真っ裸で歩き回ったりしていました。"When in Rome, do as the Romans do."ですね。

残念ながらお風呂の種類が2パターンと少ないのですがサウナは豊富なので、サウナに入って汗をかいては中央の冷たいプールで冷まし、また温度の違うサウナに入り疲れたら横になれるところで本を読み快眠・・・という感じで3時間くらい過ごしましたが、それでタオルレンタル込みで20ユーロ前後の値段はお得な感じでした。

次は温泉療養地として名高いバーデン・バーデンに行きたいものです。

3 Oct 2007

「私の言葉の境界が、私の世界の境界を意味する」

日経ビジネスオンラインを眺めていたら遭遇しました。

ヴィトゲンシュタインの、おそらく論理哲学論考の後半の一節だと思います。
久しぶりに読みたくなりました。

何はともあれ「私の世界」の外に存在する、神秘としての世界を楽しんでいます。
たとえ言語化することはできなくても、身体性を持った「私の世界」を。