27 Nov 2005

経営と政治

経営とは、何か。
政治とは、何か。

以下、思いつくまま。
経営とは、組織の目的を設定しそれを達成することである。
経営とは、継続組織を作る(going concern)ことである。
経営とは、公式組織※を作り、非公式組織を結合することである。
経営とは、構成員を変え、代え、替えることである。
経営とは、戦略に組織を従えることである。
経営とは、「人の感動」を生み出すことである。
政治とは、物事を実現することである。
政治とは、実現のための権力を握ることである。
政治とは、利害を調整して現実解を作り出すことである。
政治とは、コンセンサスを作り上げていくことである。
政治とは、暴力に依らない価値観の衝突である。
政治とは、「人の不幸せ」を減らしていくことである。
経営は、価値観を設定してその実現の論理を競うことだが、
政治は、その価値観が異なる人間の間でのすみ方を合意すること。
だからこそ、経営には、非合理性を。政治には、合理性を。
※公式組織は、相互に意思を伝達できる人々がおり、それらの人々は行為を貢献
 しようとする意欲をもって、共通目的の達成をめざすときに、成立する(C.Barnaed)

25 Nov 2005

虚妄の成果主義(著:高橋伸夫)


虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメを古本屋で購入。

とりあえず納得。「学者に(こそ)信念が不可欠」との姿勢は非常に大好き。

"Satisfaction by reward?"
まず、「報酬」は不満足要因(環境・衛生要因)であり、改良されたからといって即「満足」にはつながりにくい。よしんばつながっても、「満足」と「成果」には、必ずしも正の相関関係がなく、「成果」を志向させるのは本人の資質であったり、他の経営上の仕掛けなんだろう。逆に、「報酬」制度に上限があると(普通は青天井ではないはず)が「成果」の上限を規定してしまう可能性は十分にある。

"Satisfaction by work"
つまり、「成果」の先に金銭的「報酬」をぶらさげてしまうことで、「仕事」自体が持っているはずの内発的動機付けが弱まり、「報酬」の外発的動機付けに左右される。そんなことをしなくても、「仕事」自体が面白ければ、人はちゃんと動機付けられ「満足」する。

"For satisfaction"
つまり、「満足」することと「どれだけ頑張るか」は別の問題である。じゃあ「満足」はそもそも必要なのかという議論になるかもしれないが、辞職すなわち「退出行動」については「満足」が影響を与え得るので、組織を維持・拡大するためには「満足」は気に掛ける必要がある。でも、それは「報酬」よりも「自己決定感」を醸成したり「見通し」を持たせたりすることで向上させることができる。

"Against pay-per-performance"
そうしたら、じゃあなんのためにいわゆる成果主義(成果測定・成果連動報酬)を導入する必要があるというのだろうか。成果測定によって人事評価を客観化して逃げるよりも、腹をくくって人事評価できるミドルを育成すべきなんじゃないのか。そして社員を動機付けるには、成果連動報酬
なんかよりも経営者は「未来」を語り、「見通し」を与えなさい。
"
My Comments"
まとめるとこんな感じかなぁ。ちょっと自分の主観も混じったが。世の中の効用関数の分布は一様ではない気がするので、なんでも「報酬」に一元化するのは経営・上司の手抜きじゃね?という指摘には同意。

ただ、「報酬」の評価的側面(報酬それ自体にではなく、報酬の絶対・相対的な差による自己有能感から来る動機付け、すなわちモノサシとしての報酬)の効果については考察が不足している。ただ、これは差をクリアーに付けることができる組織文化・ビジネスにのみ限定される議論だろうし、世の中の参考になるかというと現時点では余りならない気がするのがよいか。一部外資系とかには意味がありそうだけどね。

あと、じゃあ「どうやって社員を成果志向にするのか」という問いに対して、若干オプティミスティックな気がする。サンプル調査が優良大企業中心とかなのかな。まあ、そこは学者の分野というよりは、経営者の分野だろうが。

とりあえず、この本が50年後くらいに「古き良き日本のサラリーマンの意識」を説明する文献とかになってないことを願いつつ。僕も、本書に書かれているような人達のbehaviorは好きなので。

18 Nov 2005

Carlos Ghosn

カルロス・ゴーンを生で見てきた。

生憎スタッフ扱いでメモを取れなかったので覚えている範囲で。一番大きな印象としては(ルネッサンス ― 再生への挑戦を読んでも感じたことだけれど)決して特別なことを言っているわけではなく、"basic elements of management"を押えた上での"excellence for pursuit of results"にこそ勘所があるのだと感じた。



What is required to be a leader?というような質問に対して、
 1.ability to connect people to the leader and the company
 2.persistence to performance, results
という主旨のことをしゃべっていたのは印象的だった。「コミットメント」という、彼が日本に広めた(と思う)言葉もあるように、「結果に対する責任」がリーダー・経営者の役目なんだろう。

Who own a company?というような質問に対して、
 Concretely, legally, shareholders own the company.
と「所有者」という疑問に対しては回答し、「誰のためか」という含意に関しては、
 If I compare the company to human, shareholders own only the body,
 its mind, i.e. the direction, is made by customers, and its heart is
 made of employees. What's more, they cannot be separeted.
という主旨のことを言っていたが、論理的に定めようがないこの問題に対して、多くは「ステイクホルダーをバランスよく満たすこと」と一般論で返すのではなく、妙味のある例示だった。

あと、...Why? Because...と、ロジックのつながりを非常に意識してしゃべっておりストーリー、ロジックのつながりが明晰で、少々単語が聞き取れなくても大意を掴むことができた。イイ質問に対しては盛り上がって、楽しそうに立って身振り手振りを駆使してしゃべっており、非常に惹き付けられるプレゼンテーションだった。

余談だが、所謂「コスト・カッター」の切れ味というよりは、思ったよりも暖かみがありそう(てか、かわいげがありそう)な人柄を感じ、「一緒に仕事してみたいな」と思わせてくれた。これも、経営者としては絶対に重要なことだと思う。1時間と短い時間だったが、有意義な時間だった。実行委員の皆さんお疲れ様。

16 Nov 2005

職業としての政治(著:マックス・ヴェーバー)

原点回帰、ってことで基礎から読み直し。



マックス・ヴェーバーの死の一年前の学生向け講演を纏めたものだけあって、
締めに至るまでの最後の盛り上がりには、改めてメッセージを感じた。

心情倫理(意図に対する評価)ではなく、責任倫理(結果に対する評価)という道を通って為される政治行為は、その原動力があくまで暴力(権力)であるゆえに、決して「魂の救済」と相容れるものではない。

すなわち、政治では、制度では、システムでは、「人間」は救えない。「人間」を救うのは、また別の「何か」でしかありえないはず。当たり前のこと、でも自分が紆余曲折して気付いたことだからこそ、言葉は重みを持つ。

むしろ政治行為は「悪魔の力」を有しており、目的のための指導マシーンは、人間を空虚で、何も考えない追従マシーンとしてしまう力を有している。政党政治に内在するジレンマ―政治が最大多数の最大幸福を志向する一方で、追従者に盲目的な追従を要求する―を痛烈に指摘し、これは現代政党政治に置いても、特に昨今の自民党については、非常に今もなお生々しい指摘だと感じる。

自分が今志向している先は、「人の幸せ」には結びつかないんだろう。わかっている。ただ、満足を生むのではなく、不満足を解消することも絶対必要。それは、制度。最後の部分の引用。余りに、響いた故に。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。・・・自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場から見て―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人現。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。
(Underlined by 292)
やじろべえのようにバランスを取りながら、「私腹」の谷にも「宗教家」の谷にも転がり落ちることなく、例え周りの人間が、自分から見てどんなに愚かに見える日が続いても、「それにもかかわらず!」と胸を張って言い切ることができるとき。それが、自分の「生き方」が決まるときだろう。

15 Nov 2005

Am I fighting?

水曜日、高校同期のプロボクサーの試合を見に行った。

彼は、素人目にも強い相手に立ち向かい、引き分けた。

それでよしとせず、本当に悔しそうだった。リングにグローブを叩きつけていた。
本気で何かに取り組んでいるのは、回りのやつに伝わる。そして、火を付ける。
惜しかったが、改めてイイ試合をありがとう。
大学生活、アイセック・ジャパンにてライバルとして切磋琢磨してきたリスペクト
している友人の1人はインドへ、1人はルーマニアへ。自分は1人、日本に残った。
来年の春、帰国する彼らとまたinteresting & distinctiveな会話ができるように、
俺は、俺のフィールドでできることからやるしかない。身体に無理な背伸びをせず、
でも背伸びをして、いつか高みへ届くようにと。
Those who are crazy enough to think they can change the world,
are the ones who do.

This is my manifestation, for my own future...

Visionary writer mined the mind

タイトルを上手く訳せない。。。まだまだまだまだ精進あるのみ。
Peter Drucker, who died Friday, 11 days short of his 96th birthday, was his own best advertisement for the concept of the knowledge worker, which he identified more than 40 years ago: those who work with their minds, and thus own their means of production.

著作は余り読まず(訳本特有の回りくどさが気になった)、専らビジネス知識源経由でその偉大さを紹介して頂いていたが、彼方からご冥福をお祈りしたい。そして、プロフェッショナルとして一定程度の研鑽を積んだ上で、改めて原著に挑戦しようと思う。

特に、「自己経営とはどんなことか」の回に感銘を受けて、若かりし自分は自らの自己経営チェックシートを作成したのを覚えている。以下、そこからの抜粋。
【第1原則】
時間はある。過去の30年ではなく今は50年もの現役の期間がある。名声を得た後の、80歳の時に「完全なオペラ」に挑戦したベルディがいた。
【第2原則】
目標とビジョンを持ち続けること。自分にとって目標になるモデルをもつこと。
【第3原則】
完全を目指す意志。「完全」は、心の底からの納得と言い換えてもいいかもしれません。自分を偽らないことです。
【第4原則】
一時には、一つのことに集中する。そして次々に、新しい分野のことに挑戦する。
【第5原則】
定期的に、目標と成果の差の検証を行い、差の原因に対する反省を行う。
【第6原則】
新しい仕事が要求するものを考えること。仕事が異なれば、過去に成功した方法とは違う方法が必要なはずである。
【第7原則】
始めるときに期待した成果を書きとめておくこと。そして、定期的にその結果と比較する。そこから自分の強み、弱みを知ること。そして、自己実現の映像を持ち続けること。

最後に著書の「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか」からの引用をもって、改めて追悼の意を表わさせて頂く。

彼はアテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させた。それらは今でも西洋最高の彫刻とされている。だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対して、アテネの会計官は支払いを拒んだ。「(屋根の上だから)彫像の背中は見えない。だれにも見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」と言った。それに対して、フェイディアスは次のように答えた。そんなことはない。神々が見ている。」(Underlined by 292)この話を読んだのは(衝撃を受けたオペラの)『ファルスタッフ』を聴いたあとだった。ここでも心を打たれた。

8 Nov 2005

働く過剰~働くということ(3)~

読み終わったので、次に感想を書く本。この分野も結構面白そうな気がしてきた。


働く過剰 大人のための若者読本


2 Nov 2005

www.nikkuni.com.br

誰かポルトガル語わかるひとに、この会社のサイトを訳してほしい。
移民だろうなぁ。七世代前くらいに遡ったら親族だったりして・・・。

IDEOみたいなデザイン・ファームなのかな。IDEOといえば、この本だけど。



発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
いくらお金がかかっても、自分の机周りとかオフィスって、こんな遊び心に溢れて
どこに何でも書き留められるようなユニークな空間がよいなぁと思う。
トム・ピーターズが大好きな人には、この本はホントおすすめ。(自分は大好き)
そういえば、トム・ピーターズの新しい本が出ていた。結構いい年にはなって
いるようだったが、あいかわらず熱狂的なクレイジーなカッコイイ本だった。

トム・ピーターズのマニフェスト(1) デザイン魂
「きみは誰なんだい?」という質問に、胸を張って答えられるようになりたい。
でも一方で、「アイデンティティ」みたいな縛りからは自由でいたい。難問。

マッキンゼー戦略の進化

DigitizationとThe Internetにより「戦略」というものの意味が拡散し始めたころの記録として、後に読まれる価値はあるかもしれませんが、結局は直近のMcKinsey Quarterlyからの抜粋翻訳なので、Historically provenでもないものが載ってしまっているのも事実でしょう。Portfolio of Initiativesは個人的には好きなフレームワークですが、これも残らないんでしょうかね。

帯では
 「線形思考」から「非線形思考」への進化
 -戦略に唯一最善解はない-
と謳っている。

不確実性が高まっている経営環境下において、どうやって有効な戦略を立てるかという問いに、「戦略を立てるだけ無駄だ」でも「こうやれば必ずうまくいく」でもなく、丁寧に不確実性のレベルを場合分けしたり多くのケースを調べたりしてどうにか「次の一手」を構築しようとしている本。

「マッキンゼー」の名前を毛嫌いせず、もう少し前に読んでおけば色々活用できたのかもしれないが、今読んだからこそ色々と理解ができているのかもしれない。自分の中では、去年取り組んだ「戦略立案」で行き詰まりを感じた壁に、梯子とまではいかなくても縄が垂れ下がって登れそうになった感じがした。

少なくとも、リスク(ファミリアリティ=経験知)×収益化タイミングのマトリックスで整理する
ポートフォリオ・オブ・イニシアチブ(POI)のコンセプトは使えそう。あと、二年前にPDCAシステムを組織にビルドインするべく四苦八苦したのは、あながち過ちではなかったのかなぁと感じた。PDCAってPlan-Do-Check-Adjustだと意味が分かりやすいなぁ。

複雑な世界を単純化するのではなく、複雑なまま如何に理解できるようにするか。かつ、机上の学問ではなく経営のフロンティアで如何に活かすことができるか。そういうチャレンジングな本だと感じた。複雑系とか生態系とかシステム論を少し体系的に学ぶ必要があるのかもしれない。アナロジーとして腑に落ちるように。