スペシャルオリンピックス・東京地区大会にボランティアとして参加しました。
きっかけは、入社前に映画を見よう月間にしていた3月に見た、ビリーブ、という映画。
きっかけのきっかけは、去年亡くなられた小倉昌男氏の「福祉を変える経営」。
正直に言うと、博愛的な発想とか、キリスト教的なチャリティ精神とか、必要以上に美化する傾向とか(最近はそうでもないが)、障害者を取り巻く現状の「視線」に対して何となくキモチワルイ感覚になることはあります。
でも、先天的あるいは後天的な理由で、何らかのことが「できない」ヒトをだからといって排除するのはおかしいと思うのです。ableとdisableを分けるものは何なのか。何をもって「健常」と言い、何をもって「障害」と言うのか。分けることに意味があるから(例えば障害年金交付からフリーライダーを排除するとか)分けているのですが、その「分けること」自体が、分かれていることを所与としたヒトを再生産してしまっている。
でも、多分社会を構成して運営していく上で、分けざるを得ないことはある。そうすると、僕らが学ばなければいけないことは、「分け方」ではなくて、分けることの根拠である「違うこと」に対する姿勢なんじゃないでしょうか。
いい加減、違いを見つけて切り分ける行為を、やめにしませんか。
No comments:
Post a Comment