まず以下のような前提を置く。
- 人間は限定合理的であり、心理的な価値(満足)を最大化するよう行動する
- 人間には「参照点reference point」がある
- 結果x(利益or損失)は参照点を基準として相対的に認識される
- 参照点=x=0=結果に対して満足も不満も抱かない点
利益・損失といった結果ではなく、結果から得られる心理的価値を追い求める、しかもその利益・損失も相対的に定まるという人間像は、結構当てはまりがよいモデルではないだろうか。
そして、価値関数v(x)という変換を用いて、人間の行動を説明しようとする。
- 認識された利益(損失)は心の中の価値関数v(x)を通して評価される
- 価値関数v(x)は、x>0において増加率は逓減する(効用関数と同様)
- x<0においては、増加率が逓増する
- すなわち、x<0で逓増し、x>0で逓減するような単純増加関数v(x)
- それ故、利益局面ではリスク回避的に、損失局面ではリスク愛好的になる
- 同じ水準の結果が出た場合、利益による満足より損失による不満足が大きい
- すなわち、x=b>0のときv(b)<|v(-b)|
これは、1/2の確率で100万円が得られるゲームに参加するか、50万円を黙って受け取るかという選択だと受け取る方を選ぶ回答をする人が多い傾向にある一方で、1/2の確率で100万円を失うゲームに参加するか、黙って50万円を支払うかという選択だと参加する方を選ぶ回答をする人が多いという傾向に当てはまる気がする。
たしかプロスペクト理論という名前で、似た説明が以下の本やCDIのニューズレター(PDF)でもなされていた。
これらの道具を組み合わせて、
・分離勘定:過去から独立して現在を判断 v(x1)+v(x2)
・統合勘定:過去に囚われて現在を判断 v(x1+x2)
のどちらを取ることが心理会計的に合理的(その人間にとってより心理的な満足が大きいか)かを説明している。麻雀で例えるならば、前の半荘の結果に引きずられ打ってしまうのが統合勘定であり、前の半荘の結果に関わらずその局において最適な手を打てるのが分離勘定である。
基本的には、分離勘定の方がより合理的(状況に応じた手を打てるという意味)で望ましいだろう。そして、過去の結果と現在の結果の見込みの状況を
大勝(利益大)・辛勝(利益小)・惜敗(損失小)・大敗(損失大)
に分けて4×4のマトリックスで説明すると、
1)過去に大勝した場合
大小問わず今回も勝ちそうなら分離勘定/負けそうなら統合勘定
2)過去に辛勝した場合
今回も勝ちそう・大敗しそうなら分離勘定/惜敗しそうなら統合勘定
3)過去に惜敗した場合
どのような見込みでも統合勘定
4)過去に大敗した場合
今回も負けそう・大勝しそうなら統合勘定/辛勝しそうなら分離勘定
がそれぞれ心理的な価値(満足)を高めることになるため(グラフを書いて1つずつ当てはめていけばよいので省略)限定合理的な人間にとって、過去に囚われないことがいかに困難なことか分かる。
単純に考えても、4×4の16通りのうち10通りは統合勘定となって過去に囚われてしまうのが満足を高めるのだから。このモデルによると、過去に失敗(損失)を経験した人間は囚われる可能性が高い(過去:大敗、現在:辛勝のとき以外すべて統合勘定)ことを示唆しており、それ
を回避するためには失敗から成功ポイントを探し出して少しでも参照点に近づけ、「辛勝」と捉えられるようにするか、思い切って過去の失敗を徹底的に反省して「大敗」として捉えることが必要になるが、後者だと囚われ続ける可能性が高いため、失敗からも成功ポイントを探し出すことが、次の失敗を避けやすい。
基本的に、意思決定者に最も求められるのは「辛勝」の経験だろう。予想外の大勝をした場合も問題点を洗い出す作業を徹底することで参照点に対して結果を下げ、大勝を「辛勝」として認識する必要がある。そうすることで、過去に囚われない意思決定を行える可能性は高くなる。
面白いのは、惜敗のときよりも大敗を経験しているときに、過去を切り離す可能性が生まれることであり、これは自分の経験からも納得いく気がする。負けるときは潔く負けきった方がよいということか。また、勝ち続けることで過去を切り離してその時々に合理的な判断が可能になるのは、「勝ち癖」「成功体験」を上手く積み上げていくことの重要性を示唆しているだろう。
何にせよ、「辛勝癖」を持ちつつ、失敗は前向きに、成功は謙虚に受け止めることができる人間が、過去に囚われる可能性が低く長期的に見て合理的に判断できるということになる。色々ごちゃごちゃと分析したのに、出てくる結果が一般的に納得のいきそうなリーダー像に近づいているのは面白いことだ。
このモデルは、過去と現在という単純な分け方だが、実際には過去は無数の結果を含んでいるため限界は有している。だが、どのようにしたら合理的な意思決定者を育成することができるのかといった問いに対して一つの解を示唆している貴重なモデルではないだろうか。とりわけ、デモクラシーにおける市民の育成という問題についても、このモデルは展開可能な気がする。
最後に少し政治にからめると、橋爪大三郎が書いていた「民主主義にとっては51対49という結果は、死票が多いというネガティブな意味合いではなく、選出された代表者に緊張感をもたせ努力させるから望ましい」というような意味のことが、このモデルからも説明できるのではないだろうか。
No comments:
Post a Comment