13 Dec 2011

「共産党宣言」(著:マルクス/エンゲルス)を読んで考えた、21世紀の資本主義への政治的処方箋

薄い本ですが、序文等を覗いた本文は五十頁程度、骨子の部分は数十頁で意外とあっさりと読むことが出来ました。

読み終わって感じたのは、この宣言はあくまでも資本主義に対するカウンターテーゼとして最も意味をなしたのではないかということです。

まず、資本主義の導入がこれまでの封建的な貴族などの身分制度を崩壊させて、その帰結として資本を持つごく一部のブルジョア階級とプロレタリア階級に分かれていくというロジックはおそらく現代にも当てはまるものだと思います。

その階級差への対策として、資本では負けても人数では多数を占めるプロレタリアートが経済的自由を勝ち取るためにまずは政治的自由(民主主義からひいてはプロレタリア革命まで)を得るのが先決であり、その数の力を利用するため「万国のプロレタリア団結せよ!」に至る処方箋を提示したのがこの宣言と理解しています。

この宣言があったことで、ブルジョア階級としては私有財産を否定されるような革命をされるよりはましという比較衡量から、民主主義を導入し社会主義的な所得分配策を実施していき、結果としてプロレタリア階級の政治的自由・経済的自由は大幅に増すことになって安定した、というのが20世紀の政治観としては妥当なのではないかと思います。その観点からは、この宣言は当初目指していたところを一定程度は果たしたとも言えるのではないでしょうか。

それでは、今後の世界においてプロレタリア革命が成立し得るのかという観点では、ITCの発展がコミュニケーションをやりやすくしている一方で、資本市場に対する資本家としてのアクセスの容易化がそもそもブルジョアとプロレタリアを分けることを困難になっており、さらに軍事革命についてはシビリアンコントロールと軍事技術の高度化が先進国における軍事革命(国軍でも私兵でも)を非現実的なものにしているため極めてナローパスであり、また社会民主主義的な政党が成立している国(ほぼ全ての先進国)ではそちらから政治的自由を行使した方が現実的になるため難しいのではないでしょうか。

今出し得る処方箋としては、今世紀に関しては、経済的には国を巨大な保険システムだとみなして(外交/軍事的な観点を一旦棚上げ)各人が拠出を出して最低限の生活水準を保証しつつそれ以上はガチンコで世界で競争させていくしかないのかな、と思います。新興国が人口ボーナスを武器に成長を続け経済の重心が外にどんどん向かう間は給与格差がグローバルに縮まる一方で国内格差はどうしても広がる期間であり、かつ残念ながら分配政策を続けられるほどの富はどの国も持ち続けないので、「そういう世界で暮らしていく覚悟」を早いうちから共有する必要があると思います。人口増加が90億人くらいで一段落するフェーズに入ったらまた別の世界観が広がると思いますが、それはその時の人たちが考えるでしょう。

そこで国内政治の論点の一つ目として、覚悟を持つ前に残念ながら年をとって他のことができなくなってしまった人を助けるべきかどうか、これは下手な世代間対立を煽るのではなく冷静にきちんと数字で若い世代に政治が問うべきだと思います。そうすればおそらく、As far as it's payable, yes. というところをマジョリティとして形成することが可能なのではないでしょうか。

そして二つ目の論点としては、「最低限の生活水準」の程度であり、低負担ならば低水準、高負担ならば高水準という当たり前のロジックを理解させた上で、国民がどれだけ隣人を同胞と思うか、助けたいと思うか、を民主主義で決めればよいと思います。これは北欧型で高負担になるよりは、もっと低い水準(現在の水準程度)に合意され得る懸念があると思いますが、個人的には、多少負担が増えたとしても、教育や医療に関して安心して生きられる水準まで引き上げたほうが成熟した国としてとよい社会だと考えてますので、国民負担率の水準としては現在の40%未満ではなく大陸ヨーロッパくらいなので50-60%のあたりになるように国民合意を作りにいく必要があると思います。

なおもう一つ棚上げした環境問題などの外部不経済への処方箋は、これはたとえ牛歩でも少しずつでも合意をして進めていく(絶対にテーブルから離れない、離さない)というスタンスを取り続ける一方で、排出権取引のようにどれだけ経済に取り込めるかのイノベーションを進めていくしかないと思います。

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