「マキャヴェリズム」という言葉のイメージになっている暴力礼賛的な論ではなく、乱世の16世紀において、ローマ帝国を中心とした過去に滅んだ国々と君主をケース・スタディとして、君主を成立させる要件、君主の成立の仕方による違い、君主が統治を行っていく上で必要な要素と必ずしも必要ではない要素を冷静に論じています。つまり、観念論ではなく具体的な行動や制度として君主を議論しています。
そこで論じられているのは手段としての暴力に対する冷静な評価であり、あくまで安定した支配を成立させるためには、という目的論から、軍事や君主の性質、制度論も含めて君主が取るべき行動を、観念論ではなく具体的な行動や制度として議論しており、この示唆は現代の組織統治(特に危機的環境下の)においても極めて参考になります。
マキャヴェッリは冷徹な現実主義者に徹したわけではなく、草稿を書き上げたときは彼は四十半ばだったようですが、まだ見ぬ統一イタリアへの思いを、最終26章にてこの本を献上する先の読み手、将来的かつ希望的なイタリアの君主足りえる者、への呼びかけで終えるといった情熱ものぞかせています。
政治学者であり東京大学法学部学長を務めた佐々木毅が各章ごとに簡単な解説コメントを追加しているのも、理解の補助線になります。その解説で、この君主論はローマ共和制を論じた同じくマキャヴェッリの「リヴィウス論」を参照にすることでより立体的な理解が進むことが分かりました。
そこで論じられているのは手段としての暴力に対する冷静な評価であり、あくまで安定した支配を成立させるためには、という目的論から、軍事や君主の性質、制度論も含めて君主が取るべき行動を、観念論ではなく具体的な行動や制度として議論しており、この示唆は現代の組織統治(特に危機的環境下の)においても極めて参考になります。
マキャヴェッリは冷徹な現実主義者に徹したわけではなく、草稿を書き上げたときは彼は四十半ばだったようですが、まだ見ぬ統一イタリアへの思いを、最終26章にてこの本を献上する先の読み手、将来的かつ希望的なイタリアの君主足りえる者、への呼びかけで終えるといった情熱ものぞかせています。
政治学者であり東京大学法学部学長を務めた佐々木毅が各章ごとに簡単な解説コメントを追加しているのも、理解の補助線になります。その解説で、この君主論はローマ共和制を論じた同じくマキャヴェッリの「リヴィウス論」を参照にすることでより立体的な理解が進むことが分かりました。
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