16 Nov 2005

職業としての政治(著:マックス・ヴェーバー)

原点回帰、ってことで基礎から読み直し。



マックス・ヴェーバーの死の一年前の学生向け講演を纏めたものだけあって、
締めに至るまでの最後の盛り上がりには、改めてメッセージを感じた。

心情倫理(意図に対する評価)ではなく、責任倫理(結果に対する評価)という道を通って為される政治行為は、その原動力があくまで暴力(権力)であるゆえに、決して「魂の救済」と相容れるものではない。

すなわち、政治では、制度では、システムでは、「人間」は救えない。「人間」を救うのは、また別の「何か」でしかありえないはず。当たり前のこと、でも自分が紆余曲折して気付いたことだからこそ、言葉は重みを持つ。

むしろ政治行為は「悪魔の力」を有しており、目的のための指導マシーンは、人間を空虚で、何も考えない追従マシーンとしてしまう力を有している。政党政治に内在するジレンマ―政治が最大多数の最大幸福を志向する一方で、追従者に盲目的な追従を要求する―を痛烈に指摘し、これは現代政党政治に置いても、特に昨今の自民党については、非常に今もなお生々しい指摘だと感じる。

自分が今志向している先は、「人の幸せ」には結びつかないんだろう。わかっている。ただ、満足を生むのではなく、不満足を解消することも絶対必要。それは、制度。最後の部分の引用。余りに、響いた故に。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。・・・自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場から見て―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人現。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。
(Underlined by 292)
やじろべえのようにバランスを取りながら、「私腹」の谷にも「宗教家」の谷にも転がり落ちることなく、例え周りの人間が、自分から見てどんなに愚かに見える日が続いても、「それにもかかわらず!」と胸を張って言い切ることができるとき。それが、自分の「生き方」が決まるときだろう。

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