17 Sept 2011

高齢化率と国民負担率:高村薫「新リア王」に触発されて

高齢化白書の最新版がニュースになっていて、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)が2010年に23.1%になったようです。

以前とある勉強会資料として、横軸に上記の高齢化率を、縦軸に国民所得に対する負担率(税金・社会保障を含み財政赤字を含まず)を取って、比較対象の主要先進国の1980年~2007年のデータを散布図上にプロットしたところ、日本が急速な高齢化の中で国民負担率を上げられていないことが明確になりました。ちなみに、ドイツも似たような人口の動きをしていますが、負担率は50%前後と日本より10パーセンテージポイント以上高くなっています。
高齢化率(横軸)と国民負担率(縦軸)

高齢化の進展によってどうしても負担が増えるのはやむを得ないと思うので、財政的な破綻を避けるためには、人口構成を維持する(出生率を回復させたフランス・スウェーデンや、移民を受け入れるアメリカ・イギリスなど)あるいは、高齢化の進行に応じて負担率を高めていく(ただし、民度が低い場合のデモクラシー的には困難なプロセス)のシンプルな二択しかないと思っていますが、後期高齢者医療制度の顛末を見ても分かるように、この問題は容易に政治化(「お年寄りに負担を押し付けるのか」という感情的・扇情的な言説)されやすいのが現状です。

これを挙げて民主主義の限界と言う人もいるかもしれませんが、民主主義制度下において年金や社会保障を世代間負担の立て付けにしていることが問題、というか個人的には大きな誤りであって、決してデモクラシーそれ自体の問題だとは僕は思いません。が、デモクラシーの枠組みでの解決が困難になっているのは現実であるので、破綻という形のハードランディング以外の現実の着地の仕方を模索するのが、政治の役割でしょう。

高村薫「新リア王」を読みきった影響で、今日はすこし政治的な人間になっているようです。
新リア王 上新リア王 下
これらは「晴子情歌」「太陽を曳く馬」をつなぐ大事なピースであり、あくまで「父と子」の物語でした。昭和という時代を生きた「母と子」「父と子」そして平成に入った「子とその子」という連綿と繋がる物語であることをようやく理解し、改めて上記二作品も読み直さなければ、と感じました。

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