18 Jan 2006

人間、価値、正義/堕落論(著:坂口安吾)

自分にとって、おそらく「正<善=人間に対する」である。

つまり、「正しさ」を考えるためには、「価値のあること」を考えなければいけなく、
その「価値のあること」を考えるためには、「人間」を考えないといけない。

Before thinking of "rightness", I should start from "goodness".
In order to define "goodness", I should understand "man".

そしてひょっとしたら、「価値のあること」は配分不可能(もしくは配分しても意味をなさない)のかもしれない(いや、多いにあり得る)。そうしたら、「配分の正義」の議論自体がナンセンスになるだろう。そこでは坂口安吾「続堕落論」を思い出す。
生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるに過ぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限また永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々のなしうることは、ただ、少しずつよくなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしかあり得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何者かカラクリにたよって落下をくいとめずにはいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。


というわけで、「なぜあなたは不幸なのか」というまさに直球ど真ん中の分析を、幸福度を目的変数に、様々なデータを従属変数として回帰分析を行った論文(PDF)を見つけたので、データを頂けないかダメ元で問い合わせをしてみた。結果待ち中。

もし生データを頂けたら、色々と「価値のあること」について考えてみたいと思う。とりあえず、論文では全員を同一モデルと仮定して重回帰分析にかけているので、まずはメンタルな質問項目を軸にクラスターを見つけ、何パターンかに分類した上で重回帰分析にかけてみたいと思う。効用関数のパターン化と言ってもいいのかも。

こうやって、モデルと仮定を元にごりごり計算しようとする姿勢自体、「人間」から遠ざかっているのかもしれない。でも、身近な人間を元に大胆な確信と信念を持つに僕は悔しいことに若すぎるし、狭すぎる。だからまず大学で一番触れてきた「統計」というメガネを通して「人間」を見てみたい。

No comments:

Post a Comment